2009年8月31日

行動を起こすもとはなに?

新型インフルエンザの流行が始まっている。
我が家では、夫の会社でインフルエンザ患者が出たそうだ。夫にとっては日々一緒に仕事をしていた同僚だったため、言わば夫は濃厚接触者だ。それが発覚したと同時に、夫は「そう言えばのどが痛い。鼻がグズグズする。」と言いだし、その日から寝室を別にした生活が始まった。
そういう中、夏休み最後の日とも言うべき今日、朝のラッシュが終わった午前中に電車に乗ったところ、中学生らしき6人の少女のグループに遭遇した。彼女たちは、これから遊園地に遊びに行くような会話で盛りあがっていた。皆はちきれそうに元気だったが、驚くことに全員がマスクをしていた。車内はすべての席が埋まり、吊皮が半分くらい埋まる程度の混雑だ。乗客は、仕事中と思しき男性が約4割、あとは老若男女が入りまじるような構成だったが、見まわす中で彼女たち以外でマスクをしているのは30代男性のたった一人だった。
ブラジルの豚インフルエンザが発見され、薬局のマスクが売り切れ、水際作戦で成田が厳戒態勢になったのは今年の4月。当時、街なかではマスク姿を多く見かけたものだ。その頃、アメリカ人の知り合いからは「日本人は、まるで国民全員が医療関係者のようにマスクをしていておかしい」と笑われたりもした。そして今、日本国内で亡くなられた方が出始め、これだけインフルエンザ流行がニュースで言われているにもかかわらず、外でマスクをしている人をあまり見ることはない。
元気なのにマスクをするということは、インフルエンザへの予防意識のあらわれだが、今日の電車で見る限り、、中学生にとってはインフルエンザの予防意識が非常に高いことは明らかだ。 いっぽう一般はインフルエンザに対する予防意識は極めて希薄だと言える。この予防意識の結果が「マスクをする」という行動に走らせるわけだが、人を行動させる(今回の例なら「マスクをする」という行動)きっかけとはいったい何なんだろう。

2009年8月27日

自分とは違う世代を見る目

「マスクをする」という人の行動に興味津々でいたら、なんと自分が風邪をひいてしまった。こういう時期なので新型インフルエンザを心配し、医者にシロと判定してもらった上で、電車に乗った。もちろんマスクをして。しかし、コホンと咳をした瞬間、隣りに座っていた人が席を立った。周りにいた人も離れて行った。
マスクをする、という行動が伴わないとしても、やはりインフルエンザに対して、人々は敏感なようだ。

さて、ある会社の新規事業立ち上げ検討ミーティングに参加する機会があり、出席してきた。
それは、この4月に入社したばかりの新入社員を中心にしたメンバー構成で、新しい視点を入れながら、新人研修の一環にも位置付けられていた。
その検討に向けてのヒントになる話をしてほしいとのオファーがあったので、このブログでも紹介した嗜好の変化の話や思い出マーケティングなど、30分間話をしてきた。
実は私が話をする前に、新卒新入社員を中心とするメンバーがミーティングするのを私は横で聞いていた。私が興味深かったのは、その20代前半の男女が、新規事業のターゲットを探るにあたって、団塊世代やアラフォーの意識やプライド、生活態度など、インサイなど、検討していた内容だった。これから始めようとしている事業とターゲットとの接点を探る作業だ。
20代が想像する団塊世代や40歳前後の心のうち。それは「まさしく!」とうなってしまうようなことから、笑ってしまうようなことまでいろいろ出てきた。聞いているだけではもったいないくらい、私から質問したいことはたくさんあったが、時間がなくお預け。その発想はどこからきたのか、なぜそう思ったのか、などにとくに興味がわいた。彼(女)らはついこの前まで学生だったわけで、社会経験は浅い。当然のことながら団塊世代やアラフォーとの接点は薄い。
中にはありえないだろう?!と思うような想像までしていた。経験不足から出てくるであろう間違いならわかるものの、そうでないものに関しては、若者からそんな風に思われている団塊世代、ということ自体が面白く意外で、少し哀しくもある。

2009年8月21日

思い出マーケティング

私が愛読しているメルマガで興味深かったことが書かれていた。
「生活環境ががらりと変わる瞬間(ライフステージの変化)を捉えてブランドの露出を試みること」は、消費者のこころにブランドを印象深く刻む方法だというのだ。
ライフステージの変化というと、進学や就職、一人暮らしのスタートや結婚、女性なら出産などなどさまざまなタイミングがある。団塊世代の退職なども、まさに大変化だ。
私自身で振り返ってみると、自宅で家族とともに暮らしていたところから一人暮らしに変わったタイミングや、結婚などは大きな変化に当たるのかもしれない。その時にそろえた家具や電化製品などは今も鮮明に思い出すことができる。
この「思い出す」気持ち=なつかしむ気持ち、というのが、人のこころを動かすのだろうと私は思う。
最近私は食べものにまつわる仕事が多いが、たとえば印象深い思い出とセットになる味、においは、誰にもあるに違いない。
50代の人がクジラを食べたがるのも、その昔学校給食でよく食べた時の楽しかった時間を呼び起こすのかもしれない。

私はこのメルマガを読んで、これから手がける仕事で、ある程度年齢を重ねた対象に対しての「思い出」を切り口にしたマーケティング展開を考えていきたいと思った。

2009年8月17日

嗜好の変化

食べ物に対する人の嗜好は、変わってくるようだ。
年齢によって、志向する味が変わるのはもはや常識だが、そういうことではなく、「おいしい」という概念自体が変わってきているような気がする。
たとえば牛肉―。
霜降りで口に入れるととろけるような味わいの銘柄黒毛和牛は、その生産者たちの努力の結果、国際的にも「WAGYU」と呼ばれ、日本の食文化を代表する芸術品だ。その味わいは、甘みやコクなど、均一に入っている脂のおいしさである。
しかし今、料理人たちの間で注目されつつあるのは、赤身のおいしさだ。脂(あぶら)が少なくてもおいしい赤身自体が持つうまみなどのおいしさ。その正体は脂ではなくイノシン酸などのアミノ酸だ。
人はまず空腹が満たされ、おなかがいっぱいになることを求め、その後は甘いことやカロリーが豊富なものをおいしいと感じるようになり、結果的に油や脂のおいしさを求める。それが満たされると次に求めるのはうま味になるのではないかと思う。うま味は油や脂のおいしさに比べて、そのおいしさが非常に繊細だし、味に敏感な人ほどそれを感じるものだからだ。
わかる人にはわかる(=わかる人にしかわからない)という味わいが、自己満足にもつながることで、ますますおいしく感じさせるのではないかと、個人的には考えている。
さらに、世の中の健康志向やダイエット志向などが反映され、健康的なものをおいしいと思うようになっているのかもしれない。今後は、よりエコなものなどをおいしく感じるようになる、などの変化が起きて行くのだろうか・・・?

2009年8月10日

テレビの効果

ずいぶん前から、テレビの広告効果が落ちていると言われている。コマーシャルを打っても思うような効果が出ないと。確かに、かつてに比べて、その効果は確実に落ちていると思う。
理由としては、テレビを見る人が減っているからだと言われている。
しかし、必ずしもそれだけではないような気がする。なぜなら、テレビの番組で紹介されるとものすごい効果があるからだ。番組で商品などについて好意的に取り上げられると、その該当商品は飛躍的に売れる。問い合わせも急増する。その数は何割増しなどというケタではない。何倍という数字にまで拡大する。とくに、新商品や新しいサービスの提供など、あまり広く知られていない商品の場合だ。広告主にしてみれば、ぜひとも番組に取り上げてほしいのはいうまでもない。
コマーシャルや広告にすっかり慣れた私たちは、あふれる情報の中で、自分にとって必要か不要かを選別しなくてはならない。そういう中で、番組ではコマーシャルよりもはるかに長い尺を使って、どういう人のためのどんな商品か、どんな使い方をすると便利か、などをリアルなシーンの中でわかりやすく説明してくれる。自分にジャストフィットする情報の取り上げ方だと、コマーシャルなどに比べて、必要か不要かを選別することなく、自分にぴったりだ、という届き方がされるのかもしれない。あるいは面倒だからその情報をそのまま鵜呑みにする、という構図なのか。
今や広告や販売促進など、情報量数が多すぎて、もはや何が自分にとって有益な情報かを選別することも、私たちは放棄しているのかもしれない。
しかし、テレビ局の制作サイドでは、メーカーからの情報提供やプロモートがあまりに多く、広告みたいな番組が増える危機感があり、その傾向が強まると番組は打ち切りになるという。