2010年8月25日

外から見た日本

前回に引き続き、中国の人から聞いた話を紹介したい。
その人は幼少の頃から親が日本在住だったが、自分自身は中国で祖母に育てられ、夏休みなどの長期の休みになると親に会いに日本に来ていた。
小学4年生のころ、親とともに暮らしたくて日本への移転を決意し、日本の公立小学校に転校する。結局は半年で中国に戻ることになるのだが、その半年間の日本での暮らしは、今までの人生の中でバラ色の暮らしだったと言う。あんなに楽しい時間はなかったと。
小学生だったその人は、当時まったく日本語も話せないのだが、子どもの間に言葉の壁など大きな問題ではなかったようだ。その人は隣の席に座る同級生に中国語で話し、同級生は話しかけられてもわからないし、当然のことながら日本語で応える。それでも笑顔と身振り手振りでコミュニケーションが図れて、楽しかったというのだ。
その「バラ色」な幸せとはいったいなんだろう? よくよく聞いてみると、表現しようもないほどの解放感だというのだ。子どもながらに「自由」とはなんとすばらしい!と実感したというのである。
日本語がわからないのでほとんどの授業はちんぷんかんぷんだったはずだが、算数だけは言葉が分からなくても数字だけ読めればいいので楽だったそうだ。何より、公立小学校の4年生に編入したが、日本の授業でやっていた算数は、中国で2年生の時に習ったことで、簡単で楽ちんそのもの。しかも宿題もなくて、子どもにとっては天国だったと。
けれどもすぐに、このままでは中国に戻ったらついていけなくなる、引いては中国で自分は生きていけなくなる、ということを子ども心に感じ始めたそうで、日本で一生暮らすのかどうかを散々悩んだ末、結局半年間でバラ色の経験を捨てて祖母のいる中国に戻るのである。
小学校4年生の子どもが、そんな風に感じる日本・・・。
今、日本が中国に抜かれるわけである。
結局、その人は中国に帰国した後、進路を選択する段階で、日本での半年間で感じた解放感や「自由」を懐かしく思い出し、いつかは日本で!と思いながら日本語が勉強できる大学を選択し、今、日本で働いているのである。
それにしても、今、日本で暮らしている日本人の中で、日本の「解放感」や「自由」を実感している人などいるだろうか?
当たり前になっている「自由」の価値を認識し、この環境に感謝しつつ日々仕事をしていきたいものだと、その人の話を聞いて私は改めて思うのである。 

2010年8月19日

中国の底力

元大学教授の恩師が4週間滞在したイギリスから帰国し、会うことになった。私が最近担当した仕事でお世話になったからだ。先生は御年70代中盤。大学をリタイヤ後、他の大学その他から数々の仕事のオファーがあったものの、今までにやりたかったけど忙しくてできなかったことをする時間に充てるためにほとんど断ったと言う。そのやりたかったことというのが語学の勉強だった。
先生はリタイヤ後、毎年この時期にイギリスのサマースクールに出かけ、語学勉強を軸にした寄宿舎生活を送っていらっしゃるそうだ。先生が参加するのは語学のクラスだが、そのプログラムは多岐に渡り、外国からの学生を受け入れるイギリスのサマースクールなので、世界各国から学生が集まっている。それが各国の経済事情と連動するようで、かつて参加者が多かった日本だが、今、日本人はめっきり少なくなったそうだ。その中で急速に増えているのがアラブ諸国だという。石油産出国だ。そういう国の学生はお金持ちのご子息が多いせいか、せっかく来ているのにあまり熱心に勉強しないと先生は笑ってらした。その次に多くなっているのが中国だという。しかも中国の人たちはとても熱心で、しかもとても英語が上手だそうだ。
ああ、ここでも中国か・・・。
私が現在接点がある20代前半の中国人にこの話をしたところ、中国国内でイギリスのサマースクールに行けるような人は、高級官僚かよっぽどのお金持ちでなければありえないだろうと笑った。おもしろいもので、中国共産党で国をこよなく愛していても、自分の子息には海外の教育を受けさせたいと願うのは、中国の中では当たり前のことらしい。20代前半の子が「自分に将来子供ができたとしたらやはり少しでも高い教育を受けさせ、経済的に可能であるなら海外に留学させたいと思うし、それは中国人の誰もが思うことだろう」と教育の重要性を語るのを聞いて、私は少しびっくりした。
その話をしてくれた中国人は、大学時代に日本語を勉強し、卒業直後に日本に住んでいる家族を頼って昨年日本に来てから、日本人と同じ土俵で就職活動をし、現在日本企業で働いている。。日本滞在1年なのに、日本人とほとんど変わらないくらいの日本語を上手に話し、英語も堪能で、しかも日常的に何事についてもとても勉強熱心だ。
元大学教授だった先生も、イギリスのサマースクールで、中国人の勉強に対する必死さは見ていて清々しいくらいだったとおっしゃっていた。
世界的にも目を見張るほど経済成長著しい中国だが、その背景にはこうした中国の人たちの教育熱と、努力をおこたらず勉強熱心さがあるからこそ成長しているような気がする。

2010年8月9日

専門用語

メールやインターネットはもはやインフラなので、ビジネス上なくてはならないものであるのは、間違いないのだが、Web系業界の人と打ち合わせをする場面で、私はしばしば苦しくなる。(すべてのWeb業界の人と言うわけではないので、誤解のなきように)
なぜなら、彼らはまず話し方がそっけない(感じがする)。私から見るとロボットのようだ。そして会話の中にはWeb系用語が頻繁に飛び出すので、言葉の理解ができない私は質問を連発する。質問すれば彼らは丁寧に教えてくれるが、どうも「あなたのITリテラシーが低く、困ったもんだ」と思われているような空気を感じるのだ。
それは、多少被害妄想なのかもしれないが、私自身が自分の無知を恥ずかしく思っているコンプレックスや自己嫌悪がベースにあることも大きく影響しているのだと思う。
かつて広告業界は「ギョーカイ」と呼ばれ、仕事の場面以外でも専門用語を得意げに使って話す人がたくさんいた。バブル時代には、クライアントに対して説明しながら、「そんなことも知らないの?」「わからないなら、黙って我々に任せておけばいいのだ」という空気を醸し出しながら仕事をしていた人も少なくなかった。
どこの業界でもそうだと思うが、その業界で日常的に使う用語が、他の業界でも同様に理解されるとは限らない。しかし仕事を発注、受注する上では、用語はわからなくとも、意思疎通ができ、理解できなければ、本来仕事として成立しない。場合によっては、自分の知らない業界用語も覚えながら進めなくてはならないこともあるだろう。だから、相手にわかりにくい言葉は理解できるように説明しながら進めるのは、ビジネスをするうえで当たり前のことだ。
私の発していた言葉は相手に理解してもらえる言葉であっただろうか。そのつもりはなくても、専門用語で相手を煙に巻くようなことはなかっただろうか。
Web業界の人たちと接すると、長年広告業界で仕事をしていたころを振り返って、私は今さらながら反省するのである。そして、改めて言葉の意味や重みを常に感じながら仕事をしていきたいものだと思う。

2010年8月2日

「日本の食材帖」続編発行

昨年9月に発行した「日本の食材帖」(主婦と生活社)が好評だったことから、続編のレシピ本発行の企画が進み、このたび発行となった。
新たに発行したのは「日本の食材帖 実践レシピ」。
本書には、日本の代表的な食材、野菜・魚・肉を使ったさまざまなレシピが紹介されている。ご当地グルメや保存食なども網羅し、掲載されたレシピの数、500点。さらにレシピと合わせて、その素材がどのようにカラダにいいのかという栄養面の記述もある。
私は、その掲載レシピのネタ提供や栄養面の記述について執筆する形で参画した。
手前みそで恐縮だが、世の中に出回る料理本の中では、かなり便利な本に仕上がっていると思う。7月30日発行なので、まもなく書店に並ぶものと思われる。
前書に引き続き、日本の食材に興味のある皆さまのお役に立てれれば、と願っています。