2010年10月8日

哀しいニュースと素敵なニュース

さて、先週末、業歴50年以上にもなる老舗広告代理店、中央宣興が事業停止し破産申請の準備に入ったというニュースが飛び込んできた。中央宣興は、ある時期、その仕事内容では高い評価を受けていたし、多くの社員を抱え、社員はクライアントのコミュニケーション活動を担っていたことを思うと、同じ業界にいた私には悲しいニュースである。
とは言え、景気低迷とともに、広告代理店の倒産は後を絶たない。「中央宣興が危ない」という噂はかなり前からたびたび耳にしていたし、特に驚くべき内容ではないのかもしれない。
ここで私が注目するのは、破産の事実よりも、その後のネット上での暴露情報である。業界内やその周辺にいる人たちから見れば、それら情報はある程度予測できることとは言え、経営陣への不信感や不満がネット上に一気に噴き出したのには驚いた。破産のニュースとともに、「中央宣興」で検索される数は大変なものになるはずだが、その検索結果に出てくるのは、大変な数の暴露情報が満載だからだ。
確かに中央宣興の経営陣は、暴露情報にあるように社員を大事にしていなかっただろうし、そのツケとしてこういうことになるのはやむを得ないことかもしれない。けれども、あっという間にここまでの情報がネット上に溢れてくるとは、つくづくネットは恐ろしいものだと感じる。そして、そういう情報が溢れてくることに哀しみを感じてしまう。こういう形で破産後に暴露される前に、もう少し早い段階でなんとかならなかったのだろうか?もう少し前に、マイナスのエネルギーをプラスに変えて、社員が路頭に迷うことなく破産に至らずに済ませることはできなかったのだろうか、と考えると哀しい。
一方で、嬉しいニュースは、ノーベル賞受賞のニュースだ。
さらにその事実以上に私が感動したのは、ノーベル賞を受賞した鈴木章さんのコメントだ。
「研究をやっていくと、人生においてもそうだと思いますが、何か機会に恵まれ、それを進めるとよい仕事ができるケースがある。こういうチャンスを神様は平等に与えて下さっていると思うんです。」「努力とか、注意深さとか、熱心さがないと幸運をキャッチできない。幸運をつかむ機会を大事にしなければいけないと私は考えています」「一生懸命やれば面白くなる。興味を持てば負担は感じないもの」「神が与える幸運もあるが、手を抜いては決して幸運はやってこない」「一生懸命やっていれば幸運にも恵まれる。」などなど。
そう、一生懸命の継続が幸運を呼ぶ、というその考え方は、とても素敵だ。私自身の信条に大いに重なるところだが、このコメントを知って、ますます私も日々そういう思いを抱いて仕事をしていきたいという思いを強くしたのである。