2011年4月28日

自粛と社会のムード

大震災は、「命」を何度も何度も考える機会になった。「広告」は命に関わらないので、私自身は「生きる上で必要でないことを仕事にしている」という思いを抱かざるを得なかった。
大震災以降の1か月、広告ストップの動きは大きなものだった。
被災した企業はもとより、部品の供給が止まったことで商品が製造できなくなったり、品薄になったりする企業は、広告する意味がなくなるので当然のことながら広告はストップする。仕方がないことだ。
けれども、例え震災で大きな影響を受けていなくても「こういう状況の中で社会が広告を受け入れないムードがあるから広告は自粛する」という企業が意外と存在したのも事実だ。ACをはじめ、企業のCMも含めて、テレビのCMに対する視聴者からのクレームは大変なものであったし、世の中のムードというものが広告を受け入れにくい状況にあった。目立ったことはできるだけしない方がいいのでは・・・・そいう企業の思いの結果だと思う。
観光産業への影響も大きかった。震災に加えて、原発問題もあったため、栃木県日光は前年対比95%ダウン、という驚くべき数字になった。日光の場合は修学旅行需要が無視できないが、学校側と言うよりは保護者からの強い要望でキャンセルせざるを得ない状況にあったという。
1か月が過ぎ、ここにきてようやく社会のムードが変わりつつある。
テレビはACの割合が少しづつ減ってきて、一般企業のCMが戻りつつある。サントリーの「上を向いて歩こう」を歌った震災後バージョンのCMは視聴者の共感を誘ったし、評価も高かった。テレビに広告を戻すための大きな貢献をした。キャンセルになっていたゴールデンウイークの旅行予約も戻りつつある。被災地からも、「自粛をしないでほしい」という声がメディアで語られるようになってきたのも大きいだろう。
広告(やエンターテインメント)は、確かに生きるために絶対必要なものではないかもしれない。けれども、ないよりはあった方がいいものであって、それは社会のムードを作ったり、心を豊かにしたり明るくしたりするものであるはずだ。広告業界は、今、大変厳しい状況にあるのは確かだが、ここは我慢我慢。明るいムードに向かっていくために、今、智恵をしぼり続けなければならない(と、自分自身に何度も言う日々だ)。

2011年4月8日

頭が下がる東北の強さ

昨年11月から今年の1月頃まで、私は東北地方の水産関係の取材を行っていた。連絡をとっていたのは、県や市町村、市場関係者、水産加工業者等の方々で、3月11日の地震で大きな被害を受けた方々でもある。
3月11日以来のニュースでは、今でもしばしば津波の映像が出てくる。あれから1カ月近くたち、何度も見ている映像だ。何回みても涙が出るし、凄すぎる映像に言葉が出ない。
日常に振り替えると、節電で街の夜は暗くなり、経済活動が鈍くなっているのは一目瞭然だ。この1ヶ月間の私自身の仕事のペースも明らかに落ちている。経済活性化のためにも日常に戻って仕事が重要、と思いつつも、なかなかそういう気持ちにはなれず、結局タラタラとしているようなものだ。
ほんの数ヶ月前にお世話になった方々がどうされているか、気になってネットを見ていたら、こんなものをみつけた。
被災地の市町村が発行する広報4月1日号だ。地震の直後のドキュメントレポートから3月27日現在の被害状況、復興に向けての決意とその動き、被災者への支援制度などをまとめた広報だ。写真を多用し、24ページとしっかりしたボリュームだ。久慈市職員の今の状況を考えれば、どれだけ忙しいかがわかる。その中でたった3週間の間にこのような広報を作り上げて発行し、ともに頑張ろうと地域住民に呼びかけるという力強さに心を打たれた。
かつて地域活性の仕事で、大堤防で有名だった被災地、田老町のイベントに携わったことがある。大阪のイベントで「田老さんさ」を披露するために、田老町の方々20人ほどが来阪したのだが、初対面でも臆せず全員がとにかく明るく元気。当時私はいろいろな市町村の方々と仕事をしていたのだが、その明るさが際立って見えた。慰労会で隣り合わせた女性に聞いてみたところ、「田老は海の町。漁に出れば帰ってくるまで生きているかわからないし、町は何度も津波に襲われているからそのたびにまっさらになっている。山と違って、海で生きるにはいつも前を向いて行かざるを得ないから明るくなるのでしょう。」と言われ、圧倒されたことがある。15年近く前のことである。
今回の震災後も、被災地域にはもう前を前を向いて歩き始めている方々がいる。牡蠣の養殖業者や自動車の部品工場の人がテレビの中で再建を語るときの目は光り、まっすぐ前を見ている。
かつての田老町の女性の記憶と重なり、改めて東北の人たちはなんて強いのだろうと私は頭が下がるのだ。