2012年2月28日

「アイ・フェイス i-face」への思い

前回書いたように、新サービス「アイ・フェイス i-face」 をスタートした。

このサービスのベースになったのは、もう一つのブログ、「遺影について思うこと~自分らしく生きるために~」(以下「遺影ブログ」)である。
きっかけは遺影だった。

遺影は人生最後の晴れ舞台に飾るものだ。
だから最後をきちんと締めくくるためには、いい遺影の方がいい。
遺族の悲しみを少しでも和らげるようなもの、その人らしさが表現されたものを。
そして何より、本人が納得し、満足できるものにしたいものだ。
遺影ブログを書き始めた時、私はそう考えていた。

大震災を契機に天災の恐ろしさを再認識したこともあり、いい遺影のための撮影をしておこうと思い、実際に私自身も撮影してもらった
昨年夏のことだ。
そこでの発見が、自分の知らない顔に出会えるということだった。

遺影を意識して自分を撮影することで、当の本人は、自分の知らない自分、気づかなかった自分をみつけることができるのだ。
自分が気づかなかった自分のよさや価値を、カメラマンが探して引き出してくれる。
いい遺影を残すための作業は、「死」とはまったく別の効果ももたらす、ということを教えられたのだ。

「遺影」は人生の最期=エンディングの象徴的なもの、「死」を意識するものではある。
けれども、「遺影」を自分で用意する作業は、自分の「生き方」を考えることにつながる。
それなのに、写真を撮られることが嫌いでカメラから逃げ回る人は少なくない
人生最後の晴れ舞台のはずの遺影が残念なもものになりかねないだけでなく、
プロに撮ってもらうことで、自分に自信が持てるかもしれないのに、と思うと、本当に残念なことだ。

そんな私の体験と思いから生まれたのが、「アイ・フェイスi-face」です。
どうぞ、よろしくお願いします。

2012年2月19日

新サービス i-face スタート

2月20日、新たなサービスを開始する。



アイ・フェイス。
大人のための、青空出張写真館です。

2月14日に愛をこめてホームページを公開した。
語りたいことは山ほどあるのだが、細部まで公開しきれていないので、これから徐々に説明しつつ、公開して行きたいと思う。

2012年2月15日

「仕事が生活のすべて」を見習う?

昨年12月に東証マザースに上場した株式会社リブセンス
社長が25歳と上場会社史上最年少ということで、1月にはNHKのニュース生出演もあり、大きな話題になった。
話題の村上太一社長は、結果的に大金持ちになったわけだが、特に生活が変わることもなく、小さなワンルームの自宅には冷蔵庫もない。
仕事環境がそのまま自宅にもあり、会社のデスクと自宅はなんら変わらない。
村上社長は、「仕事が生活のすべてである」と、出演したテレビでさらりと語っている。

が、私が注目するのは、彼の業績や言動ではなく、
このニュースを見て「私も見習わないと行けないな…。」と
ブログで書いたいた人がいたことだ。

もちろん、リブセンスの村上社長はすごいな!と、私も思う。
羽振りがよくなることもなく、生活に変わりもなく、謙虚で気負うところがない。
この若さでこれからが楽しみだと思うし、こういう人たちがこれからの日本を引っ張って行くことに大いに期待したいと思う。

けれども、「『仕事が生活のすべて』であることを見習う」ことについては、私は少々疑問を抱いてしまうのだ。

下山の思想」(五木寛之著・幻冬舎新書)が話題になっているように、今、仕事のしかたも新しい局面に入ってきたと思う。
「下山の思想」は、下山はあきらめるのではなく、再び上るためのプロセスであって、実りある下山をと提案している。「生きる」ための真理、幸せとは何かを書いているのであって、仕事の話が書いてあるわけではない。

私は、10年くらい前から、上昇や成長を追いかけない仕事・働き方があるはずではないかと悶々としてきた。4年半前に会社を辞めた理由の一つと言えるかもしれない。
私自身は仕事が大好きだし、生活の中で仕事の占める位置は実際大きいのだが、それでも売上・利益至上主義にはどこか疑問を感じてきた。
4年前に某大学で経営戦略を学んだことがある。自分の会社時代の経験が学問的に体系立てられ、その講座自体はとても有意義だったのだが、成長が大前提であることから始まっていることが引っかかった。成長ありきではない経営戦略はどう考えたらいいのか、何を指標にしていけばいいのか、を質問して、講師を困らせたことを思い出す。

私は、やはり今の時代だからこそ、成長や売上拡大ではない仕事の目的、働く意味、そういうものを探し続けたいと思う。「仕事が生活のすべて」ではなく、「○○のために仕事も××もある生活をする」という生き方を目指したいと思う。

2012年2月8日

正しく「あきらめる」ことはポジティブ

「がんばる」ことを重視していくと、「あきらめる」ということは、どこか後ろめたく敗北感に近いものがある。
けれども、仏教講師の菊谷隆太さんによれば、そのうつむく感覚が少し異なり、上に向ける気がする。
そもそも「あきらめる」は仏教由来で「諦観」、「アキラカニ真理ヲミル」ことだそうな。
だから元々の「諦める」は、【なぜそんな結果になったのかの原因を明らかに見なさい】ということで、だいぶニュアンスが違うと菊谷さんご自身もfacebookの個人ページで書いておられる。たしかにぐっと上向きな感じになる。

夢をあきらめる、目標達成をあきらめる、などの言葉は敗北感がある。
けれども、そう至るには必ず原因があったわけで、なぜ夢をあきらめるのか、なぜ目標達成をあきらめるのか、その原因を分析してそに対策を考えたち、克服に努めたりすれば、結果も変わるというのだ。
そこで原因を見なかったりごまかしたりしないこと。
仏教講師の菊谷隆太さんの言葉には沁みるものがある。
あきらめる原因に向き合う方が、あきらめないよりも却って苦しいこともあるだろう。
けれど、あきらめることもポジティブであることを認識できるのは嬉しい。

昨年11月に発売になった、女子サッカー澤穂希選手の著書『負けない自分になるための32のリーダーの習慣』と『夢をかなえる。思いを実現させるための64のアプローチ』は、いずれも売行好調だったそうだ。
そのプロモーションでもしばしば使われる「諦めなければ夢はかなう」。
あまりの明言で、諦めないことだけが正しいように語られる風潮に行きすぎはないだろうか? 
たしかに彼女は素晴らしいけど、「あきらめない」姿こそポジティブであり、強くて、正しくて、あきらめる人はダメなように言われる今の風潮に、私は少々違和感がある。
All or nothingではなく、いろいろながんばりがあっていいと思うのだ。

菊谷さんの言葉は、そんな行き過ぎた風潮に、少し歯止めをかけてくれそうに私には思え、温かい気持ちになった。