2013年3月27日

雑談の大切さって?!

効率が重視されて行きすぎるあまり、雑談の大切さが叫ばれるようになってきた。
NHKでこんな番組までできるくらいだから。

確かに雑談ができなければ、相手のことを理解することもできないし、課題も見つけられないから、雑談は大切であるということに、異論はない。

会社員時代、私は取引先から聞いた面白い話、同僚や後輩への声掛けなど、会社にいる時はよくしゃべっていた。
喜んで聞いてくれる人も多かったけれど、他の人から「オイ、石崎! うるさいよ。」と言われることも少なくなかった(汗)。
だから、この雑談を重視する風潮は、少し嬉しい。

雑談の中にヒントがあったり、新しい企画が生まれたり、トラブルの芽を摘めたり・・・。
雑談の価値を見直す話題や、雑談力アップで会社の売上を伸ばした例が紹介されたりすると、そうだよなあ、と思う。

だけど、それは、お笑いや落語家の人に習うことなのだろうか?
大学では、落語家の人やお笑いの人がコミュニケーション力を磨くための講座を設けているという。
前述のNHKの番組でも、面白いダジャレをいかにして連発するか、様々な素材を元に、出演者が悪戦苦闘していたが、果たしてそういうことなのだろうか。

今の時代、大事なのはコミュニケーション力と叫ばれ、誰もがコミュニケーション力をどうやって上げるか、右往左往しているように見える。
雑談を重視するよりも、本当に大事なコミュニケーション力というのは、相手の気持ちを知りたいと思うかどうか、理解したいと思うか・・・。
本質はここではないかと思う。


効率重視の弊害で、無駄を省いていくうちに、大事な気持ちまでがおざなりにされていく。
便利なこと、早いことが大事になっていくあまり、仕事も、仕事でない場面でも、自分の今求めていることにいかに近づくかに目が行ってしまう。
だから、気づいたら雑談のような、一見無駄なことを排除してきてしまった結果、雑談がどういうことだったのかが、わからなくなってきた・・・そんな風に感じる。

中には、面白いダジャレをサラリとカッコよく言える人もいる。私の周りでも、寒い空気を作ることなく、スイスイとダジャレを上手に言う人がいて、周りを和ませ、その頭の良さはカッコいいし、少し羨ましい。
でも、ダジャレを言う方法など習わなくたって、ダジャレなんか言えなくたって、雑談はできる。
コミュニケーション力を無理して一生懸命磨こうとしなくても、行きつくところ、人への「愛」があれば、コミュニケーションはとれるはずだと思う。
拙い話し方でも、誠意を感じることはしばしばあるものだ。