2013年9月27日

母親の気持ち

前回、みのもんたさんの親心について書いたが、親子に関連してもう一つ。

経済界から出版された新刊  むさしの学園小学校の母親を変える教室 子どもの心を育てる「伝え方」

子育て本が多い中で、母親に目を向け、母親が変わることで子どもの心を育てることを説いている。

どんなに子を思う親であってもやはり人の子。
イライラすることもある。

私が子どもの頃、母が小学校の担任から呼び出され、「家庭に何かあったのか?」と聞かれたことがあったと言う。
我が家は3世代同居してまだ間もない頃だった。私にとっての祖父母を、遠く離れた郷里から東京に呼び寄せたばかりだったが、父は仕事が忙しく、あまり家にいることがなく、家庭内が落ち着かない時期で、誰よりも母が精神的にかなり苦しい時期だったそうだ。

まだ子どもだった私には、そういう雰囲気はまったく理解できていなかったし、それで傷ついていた自覚もなかった。
しかし担任の先生から見れば、当時の私の挙動不審は明らかで、母に連絡が入ったのだ。

担任の先生からそれを告げられた母は、当時とてもショックを受けたと言うが、その後、私の行動・ふるまいはすぐに普通に戻ったと先生から連絡があったと言う。
それは母の対応が変わったからだろうと言うのだ。
私がそれを聞いたのは比較的最近の話で、私自身はまったく記憶にもないし、まさか自分が挙動不審だったとは!と、随分驚いたものだ。

しかし、母親には限らないだろうが、親の子への対応がいかに影響を与えるか、について改めて痛感させられた。
そう言えば・・・と思い当たる人も意外に多いかもしれない。
概念としてはある程度予想できることかもしれない。
しかし、当の親自身はその真っ最中にはそんなことまで頭が回らないし、いざそういうこと気づいたとしても、具体的対応まではなかなか考えが及ばないのが一般的ではないだろうか。

本書ではそのあたりを易しくわかりやすくガイドしている。
何より、著者のママへの優しい視線で書かれているのがよい。
現代ママは、孤立化する恐怖と背中合わせの日々でストレスは大きいと聞いているが、本書はそういう母親をホッとさせるのではないだろうか。



著者の青木洋介さんが勤務するむさしの学園は、職員室がない学校として有名だ。
私の同級生にも、何人かむさしの学園出身者がおり、その学校の雰囲気について聞いたことがある。子どもの自主性を重んじ、各自の個性に合わせてすくすく伸ばしていこうという学校の教育方針は、好感が持てる。
私は、青木さんと数年前に出会い、彼の教育論を何度か聞いてきた。
「子どもの幸せはママの幸せ、ママの幸せは子ども幸せ。」
青木さんらしいそういう思いが、本書のベースとして流れている。

子育て中のママたちにぜひ読んでもらいたい1冊だ。


2013年9月24日

親の責任、親の情

番組タイトルにもなっているくらい、
ズバッと言うのが売りのタレント、みのもんたさん。
ご次男の逮捕で、報道番組出演を自粛された。
逮捕されたのは窃盗未遂容疑で、そのご次男は某テレビ局勤務の31歳。

13日に、みのさん自身が「父親として深く責任を感じている」として謝罪し、敬老の日をまたぐ連休を明けてからは、メディアはこぞって「親の責任とは?」という取り上げ方をしていた。

みのさんが責任を感じているちしながらも、会見でも語った「20歳越えれば別人格」。
これに賛同し、みのさんに同情するコメントが次々と出てきている一方で、みのさんの場合はどうかは別として、という前置きつきで、たとえ20歳を超えても例外として親が責任をとるべき場合とは?と言ったコメントまで飛び出していた。

いったい親の責任というのはいつまで問われるものなのか、と思ってしまう。

本来、成人した子どもが何をしようと、
親が責任をとる必要などないと私は考えている。
でも私が今回、何よりも感じたのは、そんなことではなかった。

責任云々ではなく、私が感じたのは、みのさんの親の情。
そして、提供サービスの質を落としたくない(キャスターとして、中立の立場で語ること)という、みのさんの矜恃。

今回のみのさんの決断は、そういう両方の気持ちに挟まれた結果であり、ご次男の件で責任をとる、というニュアンスとは少し違うものを私は感じている。
だからいいとか悪いとか言うのではない。

みのさんが有名人であるからこその親子関係、
親が大物であるがために、子どもは幼い頃からさまざまな人的交流と人間関係に恵まれ、一般の人とは違うものがあったかもしれない。
それを批判する向きもあろう。

容疑を否認している息子に対して、みのさんは子ども信じたいと思っている。
そういう思いを、みのさんは実際に口にした。
それは、何歳になっても親は親であるということを痛感させるもので、私には親の情けや愛情を感じずにはいられなかった。

そんな親の愛情を「甘い」と言う声もあるだろう。
実際、みのさんに対してもいろいろな批判が出ているようだが、みのさんの会見を見ながら、自分の親のことを思い浮かべた人も多かったのではないだろうか。
私自身は今さらながら、かつて自分が悪いことをした時の親の処し方を思い出したり、親が自分のことを心配するのを今でも煩わしく感じることなどを、自然に思い浮かべずにはいられなかった。

そもそも成人した子供が犯した罪の責任など、誰にも問う資格などないと思う。
しかし今回の件は、みのさんが責任をとって降板したというよりはむしろ、子どもへの愛情、子どもを信じたいという思いがあるために、結果的に報道の仕事を続けられなくなった、というのが実情なように思う。
私自身も、みのさんの責任感というよりは、親の情を感じたことで、みのさんの中にある親の顔を垣間見たような気がした。
それは、中高年以上の親世代視聴者にとっては、大きな共感と同情を誘うことになったに違いない。
当該番組視聴者の主流は、そういう人たちだったのではないだろうか。
みのさんがそれを狙っていたかどうかはわからないが、イメージが大切なキャスターにとっては、賢明な対応だったと思う。

個人的には、私は、親としての顔、仕事人としての顔、その両方の顔を大事にしたいという姿勢が痛いほどわかったから、みのさんへの批判の思いなどはまったく感じなかった。
そして、自分のキャスターとしての品質を落としたくないというところには、仕事人としての姿勢としても賛同する。

甘いですか?
ハイ、甘いかもしれません。
私自身は、みのさんを特に好きというわけではまったくないのだが、
しかし、人の気持ちとはそんなものではないだろうか?

今回の容疑の結論がどうなるかは別にしても、みのさんの今回の決断が、今後のご次男に生かされますように、とつい願ってしまうのである。