2014年7月23日

私から年を取らないでください

今や140万部も売れているという大ベストセラー、「置かれた場所で咲きなさい」を書いた、ノートルダム清心学園理事長の渡辺和子さんがテレビで話しているのを見た。

実際にお話をするご様子を私自身が見るのは初めて。
「人間ですもの、私だってイライラすることだってありますよ。」と苦笑しながら話されるご様子はなんとチャーミング!
最近のシスターにはチャーミングな方が多いような気がしてならない。あくまでも個人的感想なのだが(笑)。
私自身の中学高校がキリスト教のプロテスタントだったせいか、若い頃からどうもカトリックは厳しい、ちょっと怖い、慎ましやか、なんとなく緊張する、というイメージを抱いていたのだが、ここ数年で私の中のイメージが大きく変わりつつある。
私自身が厳粛で慎ましやかな清楚な女性に近づいてきたとか似てきたとかいうわけはないので、シスターに対する昔のイメージは私の思い込みだったのか、それともチャーミングな部分を私が見ようとしなかったのか、あるいは実際にそういう素敵な人が増えているのか。

さて、今87歳でいらっしゃるという渡辺和子さんへの
「これからの夢は?」という質問に対しての答えが、益々素敵だった。
「財産になるような年をとること」
そして、大事なことは自分を見捨てないことだそうだ。

年を重ねることは残酷だ。
自分自身の肉体も、皮膚のハリや艶も、現実には時間の経過は容赦ない。
それだけでなく、環境だって冷たいくなることもある。
それでも、経験や知識、人とのつながりのおかげで、年をとるのも悪くない、楽しいこともあると思えることが、ときどきある。
それを「財産」と表現したところが素敵だと私は思った。

渡辺和子さんのお知り合いで、「私から年を取らないでください。」と言った人がいるそうだ
一つづつ年を重ねることを肯定的に捉えられているからこそ、の言葉だ。
丁寧に一つづつ、年を重ねていくことの価値を、かみしめたくなるような思いだ。

「今日より若い日は来ないのだから。」と笑うシスター、渡辺和子さんの穏やかな表情を見て、テレビの前で元気をもらった人は多かったに違いない。

そうは言っても、いくら綺麗事を言っても、
肯定的に年を重ねたいと思う私と、もう年なんかとりたくないと思う私の両方が、残念ながら私の中には同居し、どうしてもあれこれ思う現実があるのも否定はできないのだが、それでも私が私自身を見捨てることなく、財産となるような年を重ねたいと改めて切に思うのである。

2014年7月18日

Yahoo! が始めた終活サイト、わかるけど気になる・・・

今や、終活という言葉は完全に市民権を得たように思う。「就活」から転じた「終活」の言葉自体を知らない人はほとんどいなくなったのではなかろうか。

私が生きざまが表れる顔に注目し、その究極が遺影だと考え始めた頃には、まだ終活という言葉はなかった。もちろん、遺影を考えることが終活のひとつであるという発想も、当時の私にはまだなかった。あくまでも私の注目は顔だったからだ。

その後、世の中の高齢化や孤立死が社会問題化し、家族のあり方の変化や相続税が変わることも手伝い、死ぬ準備、死んだあとの始末が注目されるようになったことで、終活という言葉が出てきたのだ。
私が気にする遺影もそのひとつになった。
終活本が多数発行され、終活を掲げるWebサイトが多数出て、あちこちでは終活講座が行われている。私自身も終活カウンセラーの学びをし、そういう話をする機会が増え、エンディングノートについての本を書き、出版している。

死を考えることで、今を丁寧に生きていける。

終わりを意識することで、今の価値、これからをより充実させることができる。

~そう思う。
確かにそう思うのだが、そうしたら、なんとヤフーが終活サイトYahoo!エンディング」を始めたのだ。

洒落たサイトになっているのに、今まで私自身が発信してきたテーマであるにもかかわらず、なぜか私は共感ではな、く少しばかり違和感を感じたのだ。
Yahoo!エンディング」は無料で会員登録できる。
いずれ訪れる死に向けての準備をするためのサイトとして、葬儀の手配、お墓の準備等を扱い、相続にまつわる情報提供を行う。
いざという時に備え、家族に残したいメッセージも保管できる。
葬儀やお墓の専門出版社、鎌倉新書との提携だから、おそらく情報も確かだろう。
あのYahoo!がここまでやる時代になったのだ。
それなのに私が多少の違和感を感じるのは、それはきっと、いきなり「葬儀」「お墓」だからだと思う。
いきなり「死」の直後についての情報提供だからなのだと思う。
それも、その周辺業界ではなく、Yahoo!がやっているからだ。

人生は生まれてから死ぬまでの時間である。
誰もに死は訪れるのだから、死から目を背けることはできない。
けれども今を、そしてこれからをどうするのか。
どう生きて行くのか。
それがあって、最後が死ではないのか。
そこを考えずにいきなり死を考えようとするところに、きっと私は違和感を感じるのだと思う。
目を背けがちだった死を考えようとするなら、そこも考えなければあまりに残念! もったいなくはないだろうか。
これからを考える、生き方を考えるということは、葬儀やお墓、相続のようにお金が介在しにくい。シャワーのように提供される情報は、どうしてもお金が介在するものばかり溢れて行く。
だから私たち自身が意識して生き方を考えていかないと 、どうしても振り回されてしまいがちだ。
汎用性高いポータルサイトを運営するYahoo!がやるからこそ、お金が介在するところばかりの話にしてほしくないと思うのは綺麗ごとだろうか。
もちろん実際には、生き方や家族のあり方までの視点をアドバイスしてくれるような葬儀やお墓を扱う人を私自身は何人も知っているのではあるが。
やはり死を意識するならば、顔の見えないサービスのみに頼ることなく、私は生き方までを考えたいし、葬儀やお墓、相続などは、そのどう生きたいかという考えの結果であると自らが思ってこそ意味があり、幸せにもつながるのではないかと思ってならないのである。


Yahoo!エンディング