2015年2月28日

自分の顔に関心がない人なんていない

「私、ナルシストじゃないし、顔になんか興味ありませんから・・・」
そうおっしゃる方がいますが、本当にそうでしょうか?

自分の顔に関心がない人なんていない。
~私はそう思っています。

だって、子供の頃の集合写真、例えば遠足、例えば入学式の写真で、一番最初に目が行くのは、やっぱり自分じゃないですか?!

人の結婚式の集合写真。
主役は新郎新婦なのに、自分がどこにいるか探していませんか?
自分の写り方を気にしていませんか?

朝、鏡を見て、あ~今日は顔がむくんでいる、と思う・・・。
でも、一番気にしているのは、たぶん自分。
周りの人はほとんど気づかない。もし気づいても気になんかしていません。

ちょっとブツブツができた。
肌荒れがひどい。
目が腫れぼったい。
・・・そういうことは、自分だから気になるんです。

それはもう、美しい人であろうと、少々残念な人であろうと、あまり関係ないのでは?


そして、人が一番最後まで覚えている顔って、自分の顔なんですって。
連れ合いの顔、子どもの顔がわからなくなっても、自分の顔はわかるのだそうだ。

どんな人だって、自分の顔には関心があるのだ。

だから私は、終活を始めるなら顔から考えてみよう、と提案している。
なかなか書けないエンディングノートも、遺影から考えてみようと。

例えイヤだ、嫌いだと言っている人だって、自分の顔には関心があるのだから、考えやすい。
なんせ、ずっと毎日見てきたのが自分の顔なのだから。
自分のどんな顔を遺したいか。覚えていてもらいたいのか。

死生観など考えられない(考えたくない)ような人だって、自分の顔のことを考えるのはわかりやすいし、イメージしやすい。


2015年2月27日

ワクワクしよう

またまた「好きなことで生きていく」ネタ。

私はスポーツにはあまり興味ないし全く詳しくはないけれど、スポーツ選手のメンタル管理やインタビューコメントなら、興味深く見入ってしまう。

少々古いですが、お正月早々の新聞で見た、日本ハムのピッチャーでバッターの大谷選手のインタビュー記事。

単純に練習が好き。やりたいと思ってやるだけ。



好きなことで生きていく・・・その典型を見た。


今年の駅伝優勝は青学大だった。
失礼ながら、まさかの優勝だ。
選手の、走っていて楽しかったという言葉が印象的だった。
まさか、まさかと思っているうちに、実力以上のような力がでる。

そんなのは、きっとスポーツだけではないはずだ。
従業員が会社の中で「好きなことで生きて」いける会社になればいいと思うのも、そういうことがあるからだ。


集中は疲れるけど、夢中は疲れない」と言ったのは、
サラダ記念日で一世を風靡した歌人の俵万智さん(って私と同世代じゃないとわからなかしら?)の息子くん。
さすが、俵万智さんのお子様だと、FacebookやTwitterでは、すごい数の拡散だが、その通り!と思う人がきっと多いからだろう。

夢中なことをしたい。
何に夢中なのかは人それぞれだけど、私も、今年はもっともっと夢中なことをしよう。
そう思いながら、もう2ヶ月が過ぎていく。
やりたい、と思うことはすぐやらなくっちゃ、ね。


蛇足だが、駅伝の青学大の駅伝チームのテーマは、名づけて「ワクワク大作戦」だという。
今から10年以上前、私は「ワクワクタウン大作戦」という仕事に夢中になったことを思い出し、ネットで探したら、まだ情報が残っていた
さらにその10年以上前から夢チャレンジという企業の社会貢献活動として提案・推進し、時代の流れとともに形を変えていく中で「ワクワクタウン大作戦」があった。
応募者の熱い思いに直に触れ続けた経験は、今の私に大きく影響していることを、駅伝の青学優勝が思い出させてくれた。

ワクワクすることを大事にしたい。
いい歳をしてワクワク?・・・・なんて、最近少し思い始めていたけれど、
いやいや、いい歳だからこそ、もっともっとワクワクしたい。
オトナはもっとワクワク。
今年は、私も今まで以上にワクワクしよう。



2015年2月26日

周りのイメージが行動を制限するのはもったいない。

学生時代の恩師を訪ねた。

60歳になる前にご主人と暮らしやすい老人ホームに入られ、そこから私の母校に通勤していた。
先生は生物の先生で、山歩き好き。
現役時代から退任後も、変わらず丹沢や秩父、山梨、長野の山を歩き、山の植物を愛で、スケッチをし、それを本にまとめて出版するほど。

80代半ばを超えた今も、近くの公園まで歩く毎朝の散歩を欠かさない。
1人でふらりと、海外旅行にもしばしば出かけている。
誰かと一緒に行こうとすると、日程調整とかでなかなか行けなくなるでしょう?と先生は笑う。

そんな先生は、立ち居振る舞いはしなやかで、おっとり。
話す口調は、私が高校生の頃から今も変わらずとても穏やかだ。

肩に全然力が入らない、先生のそういうお姿が私は大好きで、
ときどき先生のそういう生き方を間近で見たくなり、お訪ねしている。

先生の一人息子さんは、東京から少し距離があるところに住まわれていて。
その息子さんが、ときどき訪ねてくるそうだが、
自分をとても心配しているのがわかると言う。
「もう年なんだから。」と思われているのだろう、と。

だから、海外旅行に行くのを、もうやめたのだそうだ。
考えてみれば、いつどうなるかわからない年になった。
海外で万一のことがあったら、息子に迷惑をかけるから。
・・・そうおっしゃるのだ。

聞きながら、少し残念に思った。
高齢者だから、と心配されるから動けなくなる。

心配されることはたしかに心やさしいのだけど・・・・
他人の私は何も言うことはないけれど、それで本当にいいのかな。

場合によっては、やさしさが自由を奪う。
やさしいことが悲しませてしまうことがある。
そのやさしさによって、
私の好きな先生のカッコよさまでが奪われていくようで、少し寂しく思った。
もちろん、これは私の勝手な思い込みかもしれないが・・・。

高齢者はこういうもの、
高齢者だから○○があたりまえ、
そういうイメージだけが先行し、そのイメージを前提にした思いやり。
周りのイメージが、行動を制限してしまうのは寂しい。

高齢者だから、ではなく、
○○さんだから、という考え方になればいいのに、と思う。

高齢者というひとくくりにしないで。
人は十人十色、百人百色だ。
その人にとって、いい形であればいい。

要は、その人が大事なことを大事にする生き方、暮らし方だ。
私自身もそうありたいと思うから。

大事にすることを諦めたり、我慢したくない。
だけど、意外に日々に追われたり、なんとなく時間を過ごしていると
やらなければいけないこと、周りが求めていることに向かいがちで、
自分が大事なことを忘れていたり、気づかなかったりもする。

エンディングノートには、自分が本当に大事にしたいことを気づかせてくれるものがある。
そういうことを確認するためにエンディングノートを使う、というのもよいと思う。
自分が大事にしたいことのための能力は、
たとえ年をとっても、いくら親切にされても、衰えないようにしたいものだ。

私という人間も、
何歳の女性、というイメージではなく、
ずっと働いてきた女性、というイメージではなく
私という個人である。

周りが作るイメージにとらわれてしまうと、自分自身も苦しくなるような気がする。







2015年2月25日

アホらしいけど、思い込みで恐怖感が膨らんでしまうことがある。


学生時代、数名の友達との楽しいお泊りのとき、
突然一人の友人がしくしく泣き出した。
「私、白血病だと思う。死んじゃうの・・・・・。」

昔々、山口百恵が主演した大人気ドラマの赤いシリーズを
覚えている人はいるだろうか。
それは誰もが見ている不治の病いに侵されるドラマで、
高視聴率を稼いでいた。
しくしく泣き出した友人は、知らないうちに足に痣ができたそうで、
自分の状況がそのドラマと同じだと言うのだ。
それを聞いた私たちは大笑いだったが、本人は大まじめ。
その後、知らないうちに痣も消え、何事もなく終わった。


日頃の運動不足解消のために私が通うスポーツクラブには、
私よりもはるかに元気で筋力も強い
60代、70代の先輩諸氏がたくさん来ている。

クラブのトレーナー(サーキットコーチ)は、
私たちメンバーの名前を呼び「○○さん、こんにちは」と声をかける。
インカムをつけたまま声をかけると、その声はスピーカーを通して流れる。
かけられる声は、スピーカーから聞こえるのだ。
そうすると、声をかけてくれても声をかけた人がどこにいるのか、
一瞬わからなくなることもある。

その日、特に元気な70歳前後と思しき女性が、
トレーナー(サーキットコーチ)から、「○○さん、こんにちは」と名前を呼ばれて声をかけられたときのことだ。

「どこ?どこ?」
その女性は、挨拶を返そうとしたのだが、
その声がどこからかけられたのかがわからず、しばらくキョロキョロした。

スピーカーから声が聞こえるから、どこにいるのかわからなくなりますね~
・・・近くにいた私がそう答えたら、
「あ~、びっくりした!認知症の予兆かと思った。」
と、険しい顔をした。

いえいえ、大丈夫。
私もわからなくなりますよ。
スピーカーがあそこにあるから。
・・・そう言って、スピーカの位置を指さしたら、
「あ、そういうことね。」と言って、やっと笑った。


ドラマや映画、報道で、病気の恐ろしさばかりがどんどんクローズアップされる。
そうすると、恐怖ばかりが募っていく。

私も、年齢と共に忘れ物が増えたり、人の名前をたびたび忘れたりすると、
若年性認知症になったんじゃないかと妙に心配になることがある。
心配はどんどん大きくなる。
自分の思い込みで、知らず知らずのうちに恐怖感が膨らんでいくのだ。

知識がないと、その恐怖感はますます膨らんでいく。
イメージだけに振り回されるのはアホらしい。
心配してもそれだけだとよくなることはない。
病気が心配なら検査すればいいだけ。

無駄な心配を減らすのは、正しい知識と情報。
それにもう1つ、行動だ。

それはきっと病気だけじゃない。


2015年2月24日

過去をふり返ると、背景は意外に今につながっている

大学受験を目の前にした高校3年の頃のことだ。

当時、劣等生だった私は迫り来る大学受験に絶望していた。
どうせ・・・、今さら・・・
努力もしないくせに、成績がいい同級生を羨んでいた。
かと言って、自分が興味のないことはやる気にもなれず、進路に悶々としていた。

その中で、私が興味を持っていたのは生物だった。
ニホンザルが好きだったのだ。
ボスがいて群れ社会があるニホンザルの世界。
さらに食う食われるの生態系、野生動物の世界。
ニホンザルを学ぶなら京都大学だけど、そんな力はなかった。

進路は、動物学か動物学に近い線で
・・・そう考えていた私に、生物の先生だった担任が勧めたのは
栄養学の単科大学だった。
その大学には、動物学ではちょっと有名な個性的な教授がいたのだ。

しかも栄養学だったら、卒業後に仕事をする時にオトコに負けにくいと言う。
動物学や獣医学の場合、仕事では体力が求められるからいい就職先は男性にとられてしまいがちで競争は厳しい、と。
例えオトコ社会でも独自性を生かしやすいと言う。
今の言葉で言えば、ブルーオーシャンだ。
さらに、もし仕事をしなくても、学んだことをいろんな形で生かしやすいだろうと。

私は食いしん坊ではあったけれど、栄養学なんて興味なかった。
花嫁修行のように思えて、気が進まなかった。
だけど、結果的には他の大学とのご縁がなく、
担任の先生が勧めた大学に行くことになった。

行ってみたら、担任の先生が教えてくれた動物学教授の授業はとても面白かった。
興味がなかった栄養学もだんだん面白くなってきた。
そして、卒業後は料理番組の企画制作担当として、広告代理店に就職することに。
かつての劣等生も、オトコ社会の職場では栄養学を学んだ専門家として見られ、
私もそれに応えようと一生懸命働いた。

女子大生がもてはやされながらも良妻賢母を求められていた時代に、
その先生は、女性のキャリアという視点を加味して進路指導してくれたことになる。
今ならそう珍しくないだろうが、
そのおかげでうじうじした劣等生の私が前を向けるようになったのだと思う。

若い頃は、自分がどんな仕事をしたいかなど、わからない。
まだ適性も定まっていない。
でも、興味があることを追いかけ、人の声に耳を傾けていくと、
なんとなく収まるところに収まっていくのかもしれない。
たまたま担任は生物の先生だったので、
私の思考(志向)がより理解しやすかったという幸運にも恵まれたのだろう。

昔のことをふり返ってみると、
今、私が人の生き方や生きざまに興味を持っていることが、
当時ニホンザルに興味を持った時の気持ちの背景に通じるものがあるように感じている。

それは、周囲との関係性とか関わりとか。

私が今、エンディングノートに注目するのは、
エンディングノートが周りとの関係性を確認するツールとして有効だから。
一般によく言われる相続とか、葬儀を考えるために
エンディングノートと言っているのとは少し違う。

例えば、自分にとって大事なこと、大事な人・・・。

やりたいこと、伝えたいことというのは、
死ぬまでにやっておきたいこと、伝えておきたいこと。
それらはベースに人間関係があり、その関係性を自分はどうしたいのか
ということに深くつながる。

エンディングノートを使うと、
軽視しがちな人間関係、周りとの関係性を確認しやすい。
気づかされる。





2015年2月23日

経験は資産か?垢か? 定年が見えてくる還暦間近は、強気になったり、弱気になったり。

定年したサラリーマンには、マンションの自治会長というポジションが人気なのだそうだ。
定年して家にいると肩書がなくなるが、マンションの自治会長という方が気が得られるから。

だけどそうやって自治会長になると、いきなり威張り始めて、
場合によっては一緒に役員をやっている人、それも細々と動きがいい女性に対して、「○○君」なんて呼ぶようになり、一気に総スカンになってしまうのだとか。

偉かったサラリーマン根性丸出しだ。

でも、それを聞いて私も笑ってなどいられない。
私は偉くなどなかったけれど、その男性と同じずっと長く働いてきた。
心は意外に定年男性サラリーマンとあまり変わらないような気がする。

今までいろいろ経験してきた。
苦しいこと、つらいことをいっぱい乗り越えてきた。多少の自負もある。
それは自分にとって、大きな資産のはずだ、と思ってきた。

しかし最近、その資産がもしかしたら垢になってるのかも、と思うことがある。

偉かったサラリーマン根性丸出しの男性諸君も、
きっと苦しいこと、つらいことをいっぱい乗り越え、自負もあって・・・・。
だけど、それが資産ではなく、垢になっていることに気づかなかったのかもしれない。

最近、ずっと専業主婦をやってきた女性を見ると、
そのしなやかさに私は頭を垂れる思いがあるのだ。

自分のことよりも子どものため、夫のためにいろんなことに振り回され続けてきて、
だからかわし方が身についている。
変なこだわりがなく、自分の気持ちの収め方を知っている。
・・・専業主婦だった人は、私から見てそういう風に見える。

親が高齢になり、弱ってきたから、私はいろいろと段取りを組む。
会社員時代は、どれだけ段取りを組んでおくか、事前に手を打てるか、が
仕事の半分以上を占めていたと言っても過言ではない。
だから、同じようにしようとするのだが、親は仕事とは違って
ちっとも段取り通りにはいかない。
すぐに事情が変わる。
そういう時、段取った私は内心イライラするけど、
専業主婦が長かった妹は、仕方ないね~とケロッとしている。

そういう時、私は長く仕事をしてきたことが災いしてるのかな、とふと感じることがある。
女性目線、オンナの気持ちがわかることを強みに働いていた時期もあったのに、
私のココロは意外にオヤジそのもの、なのかも?!

自分のことは自分ではなかなかよくわからない。

会社の中で偉くしているうちはいいけれど、だんだんと先が見えてきて今までの経験をふり返ると、強気になったり、弱気になったり。
そして、自分の道を迷走するのである。
長く仕事をしてきた人の還暦間近というのは、たぶん、男も女も、ビミョーなお年頃である。







2015年2月22日

111歳で本を出版! 素敵な人生の先輩の存在は元気が出る。

若かった頃、先輩を見ていつかはああいうふうになりたいと思ったものだ。
目標になる人がいると、自分の将来像が描きやすくなる。

けれど、自分が少しづつ年を重ねていくと、だんだんそういう人が減っていく。

私の場合、会社に就職したのは雇用機会均等法前。
一般的には女性は腰かけと言われ、
結婚でやめる寿(コトブキ)退社がは憧れの的でもあった。
私が就職した会社は、そういう時代に珍しく男女のお給料が同額だったのだが、
それでも私が29歳になった時点で私は女子社員の最年長になった。

それから約20年間、私はその会社にいて、ずっと最年長女子社員だった。

仕事の目標、仕事上のロールモデルは日常的に考えられたとしても、
働き方、スタイルとなると、私は将来像が描きにくかった気がする。
結婚、子ども、仕事、・・・・
オンナが生きるのは何かと大変だなと思う場面が多々あったように思うけれど、
自分のロールモデルになるような人は、私の周りにはあまりいなかった。

そのうち、仕事上の目標だった男性の先輩諸氏もだんだん元気がなくなってきた。
気づくと、オンナのロールモデルはおろか、仕事上のロールモデルすら描きにくなっていったのだ。

だから私には、いつもなんとなく成り行きで生きてきたような反省がある。



 あの人のようなオシャレをしたい。
 あの人のような考え方が素敵。
 あの人のような身のこなしをしたい。
 あの人のような暮らし方をしたい。

マネっ子なんて・・・と言う人もいるし、
オリジナリティが大切だと言う人もいるけれど、
そういうモデルがあると、自分がどうしたいかを考えやすい。
目指したい人がいれば、希望が持てる。励みにもなる。

今の世の中は、どうも「年寄りはジャマ」みたいな空気がある。

 年をとったんだから引っ込んでろ。
 税金の無駄遣い。
 若者に道を譲れ。

多少はわからなくもないけれど、
そんな風潮が強くなると年齢を重ねることに夢も希望も持てなくなる。

いろんな先輩がいて、
この人のこんな風な働き方、生き方が素敵!って思えるような人がたくさんいる・・・・
そういう社会であればいいのに。

73歳から油絵をはじめ、111歳で本を出版した後藤はつのさん。
今年の年賀状には800通に自筆で名前と一言を書いたそうだ。

朝日新聞 2月15日の記事だ。


この記事にどれくらいの人が元気をもらったこととだろう。

もう無理かも、どうせ・・・、諦めちゃおうかな、と弱気になっていた私も、
もっともっといろんなことができそうな気がしてくる。
後藤はつのさんの生き方を知ることで、私の未来が輝いてくる。
希望が大きくなる。
自分よりも年上の人が、自分の理想に近い生き方をしているのを知ると
元気が出る。
未来が楽しみになる。
未来に向けて頑張ろうと思える。

素敵な人生の先輩が増えれば、元気が出る人が増えていく。
年長者の生き方、生きざまは、影響力がある。

人生の終わりのために書くものと思われがちなエンディングノートだが、
本来、エンディングノートとは明るい未来を考えるためのものだ。
自分の人生を再確認するために。

素敵な人生の先輩を見ながら、エンディングノートに向き合う。
・・・そんなふうに、もっと自分らしく生きるために活用したいものだ。
自分が何を大事にして生きているのかを考える上でも、いい道具になる。

自分より下の世代に影響力を与えるためにも。




2015年2月20日

維持したい恒常性。でもそのためには何が心地よい日常なのかわかる必要がある。

私は、若い頃から体温調節がうまくいかない体質だった。
寒がりで暑がり。
学生時代にスキーに行くと、
山頂では吹雪いているが、下に滑って行くと晴れているから、温度は全然違う。
寒がったり暑がったり忙しい私を、仲間たちはホメオと呼んだ。

ホメオ・・・ホメオスタシスの略だ。
私をホメオと呼んだ仲間たちは、栄養学を学んでいた大学の同級生だ。
人間のカラダは、恒常性を維持しようとする。
ホメオスタシスとは恒常性の維持のこと。

人のカラダは、外が寒くても暑くても体温を一定に保とうと体温調節する。
食べ物がなくなったら、食べ物が少なくても大丈夫なように
人間のカラダはエネルギーを消費しにくいカラダに変わる。
この恒常性を維持しようとすることをホメオスタシスと言う。
私はこれがうまくいかないと思われて、
ホメオスタシスしっかりしろ!ということからホメオと呼ばれていたのだ。

まあ、実際に私のホメオスタシスがうまくいかなかったのかどうか、
真偽のほどはわからない。

さて、恒常性を維持しようとするのは、きっとカラダだけじゃない。
ココロも、気持ちも、考え方も、同じだ。
要は慣れなのだろうが、自分にとっての日常、
すなわち自然で心地よい形というのも、いろいろあるはずだ。

暑がり、寒がり・・・、
食事するなら、少量でも品数をたくさん、好きなものをドカン!とたっぷり。
静かにしているのが好き、いつもにぎやかなのが好き。
常に音楽が流れていた方がいい。
音楽を聴くなら、ジャズを、和製ポップス、洋楽・・・
海派、山派。
イヌ派、ネコ派。
等々。

これらもある意味、恒常性かな。
それが自分にとっての日常で、その方が心地いいこと。
維持したいものだ、きっと。

もちろん、時の経過とともに変わることもあるのだが、
エンディングノートって、
実はこういうこと一つ一つを記録しておくものでもあるように思う。

親が高齢になり、弱っていくのを見ていると、
本来、親が大事にしている恒常性がどんなことかを周りが知っておくと、
将来いろんな場面で生かされるであろうことが、想像できる。

特に、余命いくばくもない重篤な病気になったり、
要介護になったり、認知症を発症したりした場合に、
そういうことを知っているかどうかで、大きな違いが出ると思うのだ。

だけど、今一緒に暮らしていない親子だと、親の日常、
つまり今の心地よい恒常性がどういうことなのか、実はあまりよく知らない。

私も、実家の親とは、メールなどでまめに連絡を取っているつもりではあるが
実際には月に1~2度しか会わない。
両親は夫婦2人で暮らしている。
会えばたくさん話はするけれど、たぶん親は娘に対してカッコつけたいし、
威厳も守りたいし、まあきっとお互いにいいところだけを見せて話しているようなものだ。
だから、実際の今の日常など、意外に知らないような気がする。
私が知っている親の日常は現役世代の時の親であり、弱ってきた高齢の親の日常ではないからだ。

人はきっと、身も心も恒常性の維持を求めてる。
恒常性は少しづつ変わってはくるのだけど、今の恒常性を維持したいのだと思う。

自分にとっての恒常性ってなんだろう?
親にとっての恒常性って何だろう?

そんなことを考え、あぶりだすのに、
エンディングノートは便利な道具だと改めて気づく。
老いじたくなんかではなく、
今の親のことを気にするための道具として、
エンディングノートはなかなか使える。



2015年2月19日

なぜ50歳がエンディングノートを気にする必要があるのか?

いずれはね・・。まだまだ・・・、そのうち・・・。

私がふだんエンディングノートに関連したお話をする時、
参加する高齢者の方で実際にエンディングノートを書いている方は
ほとんどいない。
80代の男性は、
いずれはエンディングノートを書こうと思うけど、まだまだ・・・・。
そのうち・・・、と言う。
その昔、百歳の双子で有名人になったきんさんとぎんさん。
某企業のCM出演のギャラの使い途を聞かれて、「老後のための貯金」と答えた。


50歳のあなた! 笑うなかれ。

若い頃に仕事がハードで腰を痛め、
一生寝たきりになるかもと恐怖した経験があると言う。
だからきっと、好きなことで生きていこうという気持ちにブレがないのだ。

東日本大震災の時、誰もがいつ何があるかわからないと思ったはず。

それなのに、私も無意識のうちに、今がずっと続くと思いこんでいる。
いずれ・・・、
まだまだ・・・、

80代の男性と同じ。
きんさん、ぎんさんの老後のための貯金と大差はない。
結局後回しだ。


ゴールを意識すると?

でもどんな人でも、生まれたら平等に死に向って進んでいる。
にもかかわらず、それを意識することはほとんどない。

それでも、終わりがあることをちょっと意識すると、
 ガマンしない方がいい
 思いっきりやった方がいい、
と思うことが多々ある。
それまで忘れていたことでも、
 伝えておこう、
 行こう、
 食べたい、
 やってみたい、
と思うことが次々出てくる。

ゴールを意識するかどうかで、今が変わってくるのだ。
私が考えるエンディングノートの価値はそこにある。


エンディングを意識するんだったら、早いほうがいい。

エンディングノートって高齢者のためだけじゃないんですよね。
むしろ、少しでも早くに気にした方が、その恩恵にあずかれる。

せめて、50歳になったら、
書かなくたっていい。見るだけでもいい。
気にするかどうか。アンテナを持つかどうか。

それだけで、きっと人生はずいぶん変わってくると思う。


なぜ50歳かって?

50歳は、人生の折り返しは超えたかも、という自覚だけは持つ年。
体力の急速な衰えを感じる時期でもある。
鏡を見ると急に老け込んだ気になって落ち込んだり・・・・
女性ならホルモンバランスが崩れてきたことも自覚する。
そして、親を見送ったり、親の介護は始まったり、
親が高齢になって急に弱ったりする時期とも重なり、
人の人生には終わりがあることを意識しやすくなるのだ。

だからこの時期に気にしないと、大事なきっかけを通過してしまう。
大事なことを思い出さずに通り過ぎてしまうのは、あまりにもったいない。



毎回少しづつ書いていくエンディングノート講座 毎月1回開講中

2015年2月18日

年齢を重ねるからこそ、おしゃれした方が楽しそう。自分流オシャレを楽しんでみたくなる。

何を着たらいいかわからないと書いたばかりだけど、
16日放送のNHKあさイチ冒頭で紹介されたのは、おしゃれなOver60。

こちらは、銀座や表参道のストリートで実際に歩いているおしゃれなシニア世代の人に、声をかけて撮影した写真集(本)だ。

OVER60 Street Snap [ MASA&MARI ] 

写真を撮影しているのは、MASAさんとMARIさん。
20代の若者だ。
おしゃれなシニア世代のファッションスナップだけを集めたブログ、L’idéal もある。

いや~、個性に圧倒されます。
カッコいい!
素敵!
その人なりの個性がそのままファッションに反映されている。

世の中では、年をとるのは残念なこと、悲しいこと、
いかに若く見られるかが大事・・・・という風潮が幅を利かせていることに、
私はかねてから苦々しく思っていた。
だって、未来が真っ暗になっちゃうじゃないですか!

そんなのって、どうなんでしょう?!

未来はますます素敵であると思い、前を向いて歩くためにも、、
カッコいい人生の先輩がいるということは、なんと嬉しく、勇気をもらえることだろう。


歳を重ねたからこそ持つ雰囲気、スタイルって誰よりも魅力的だと思う。
その人にしかない長い時間の積み重ね=人生が表現されるから。

そんな風に思う20代の若者がいるんだ。
このページで見て、嬉しくなる。


でも、それは誰だってそう見られるわけではなくて、
どれだけきちんと前を向いて生きてきたか、
これからもきちんと生きていこうとしているか、ということに拠る部分が大きい。


そして、このカッコいい人生の先輩写真集は日本だけではなかった。
ニューヨークの街で撮影したマダムたち。

スナップ写真集『Advanced Style』

17日から写真展が始まり、早速見に行ってきた。



さらに強い個性が満載!
80代、90代のマダムが続々。

イキイキしたマダムの顔は、何人分あったんだろう?

見ているだけで嬉しくなった。
一人で見ていたのに、思わず「ワオ!」と声が出る。
顔がニマニマしてしまう。

しかも、初夏にはこれに関連して映画も公開されるようだ。


こんな色は浮くかなあ。
こんな服は年甲斐もないかなあ。
最近ずいぶん太っちゃったしなあ。
・・・元々オシャレに自信がない私は、そんなことを考えているうちに、オシャレをすることを放棄していた。
ファッションへの興味が薄れていったのだ。

NHKの有働さんが、
「40代50代は、こんなの着てると若作りにならないかなあって気になってしまうけど・・・」と言っていたが、私もまだその域にいるんだなと実感した次第(苦笑)。

写真展に来てみて、自分のしみったれているであろう顔にうんざりした。
何を着たらいいかわからなくなるというのは、どう見られるかが心配だから、
ということに気づくのだ。

私自身が日頃、
顔には人生が表れる。
生きざま、生き方が大事なんだ。
と提唱しているくせに、ファッションとは自分らしい生き方を具現化することだったということを、うっかり忘れかけていることに気づかされる。

写真展の会場を出た時、思わず背筋を伸ばし、
足取り軽やかに歩き始めている自分に笑ってしまった。

さあ、おしゃれしようかな。
自分の好きな服を着て。

今時はナチュラルメイクが主流だし、日頃薄いメイクしかしない私だけれど、
これからは自分の好きな色の口紅もさしてみようかな。
・・・なんて思い始めた。

誰ですか?
「年甲斐もなく・・・」なんて言っているのは?

ガキンチョとは違って、今の私のオシャレは誰のためでもない。
自分のためですから。
そんなコト、例え耳に入ってもスルーすることにしましょ。

でもいくら80代でも、90代でも、「おばあちゃん」って言わないでほしいなあ。


世の中のエンディングノートには、
好きな服、着たい服、おしゃれの心情やメイクなどについては
あまり触れられていないけれど、
できればそういうことも、今から少しづつ書いておきたい。
好きな服を着た写真と一緒に。


2015年2月17日

高齢の親の病院に付き添う、中高年の息子や娘が書くエンディングノート

私の家は長寿家系だ。
親も親戚も、あちこち具合が悪いと言いながらも、比較的大きな病気もせず元気にしてきた。

しかしながら、元気な親も年老いてきて、さすがにそうそう安心してはいられなくなってきた。
あちこちの病院に通う日々で、お世話になることも増えた。

病院で大事な話がありそうなときには、私たち子どもがついていくようにしないと、お医者さんの話が聞きとれなかったり、理解しにくかったり。

先日、私は母と一緒に父の病院の付き添いに行ったところ、
先生から薬の量を少し増やそうという話があった。

診察が終わり、会計をしようとしたところ、
「薬は増えるけど、飲まないつもりだ。」と、患者本人がボソッと言った。
聞けば、その薬のせいで腸の具合が悪いようだと言うのだ。

もちろん、そんな話は私も初耳だし、先生にも話していない。
そのままにしておくわけにはいかないので、私はもう一度先生に診てもらうようにお願いし、先ほどはきちんと話さなかった非礼を詫びた上で薬のことを尋ねたところ、その薬は胃腸にはまったく影響のないものであると説明を受けた。
それを聞いて本人も納得し、安心して病院を終えた。

古い世代は、肝心なことを医者に聞けず、言われるまま何も言えない。
言おうとすると、先生を不快にさせてしまうこともある。
それでも、我慢している高齢者はきっと多いんだろう。

重篤な病気の場合は、人生観をふまえた治療法の選択を迫られることだってある。

医療者と話をするのには、テクニックが必要だ。
多少の知識と交渉術が求められる。
高齢の親だけではなかなか難しい。

高齢になった親を抱える子どもは、そういう時に頼られるのだろうが、遠方の場合はなかなかそれが叶わない。
(「子ども」とは、概ね40歳以上の中年)
会社勤めをしている場合はほぼ難しいだろう。
高齢の親から見れば、頼りたくても頼れない。

わかっていてもできない子どもも多いだろうし、ついて行った方がいいことにすら気づかない子どもも多いに違いない。


親にエンディングノートを書いておいてもらおう・・・という声をよく聞く。

私がエンディングノートについての話をするとき、60歳以下の人はほとんどが「エンディングノート」を知ってはいるけれど、見たことがないと言う。
そういう人が、親にエンディングノートを書いてもらおうとするのには、私は否定的だ。
書くかどうかはあくまでも本人の問題。

むしろ書いておいてもらうのではなく、自らが親のことを考えるきっかけとして、エンディングノートを見てみることを、私はお奨めしたい。
子どもの立場で、親のことを考えながらエンディングノートを見ることには、大いに意味があると思うからだ。

エンディングノートには医療の項目がある。介護の項目がある。
親に書いておいてもらうかどうかではなく、子どもとして親から何を聞いておけばいいか、のチェックリストとして使えるのではないか。
これからどんな知識を仕入れておこうか、というヒントにもなる。

高齢の親を診る医療者と話をする時、
その家族が命や終末についての知識や意識をきちんと持っているかどうかは意外と大事なことだし、それによって医療者側もきちんと対応するようになるのではないかと思う。


蛇足だが、病院の診察室に呼ばれて中に入ったときのこと。
患者本人が椅子に座り、家族は横に立ち、医師は電子カルテ(モニター)を見てキーボードを叩くだけで何も話さない・・・。これが2分40秒。
今の病院は、電子カルテしか見ない「デンカルルドクター」ばかりだ。


毎月少しづつ書き進めるエンディングノート講座開催中



2015年2月13日

「いい顔」で生きていけたら、幸せ

顔つきにこだわっている私が「いい顔」を考えるとき、そこには2つの視点がある。

一つは、じわじわとその人の人となりがうかがえるような「いい顔」かどうか、
という視点。
それは生き方が滲み出てくる顔だ。
下品な顔、穏やかな顔、幸せそうな顔、充実感いっぱいの顔、意地悪な顔、
優しそうな顔・・・
長い時間をかけてじわじわとそういう顔が出来上がっていくのだ。

今の顔は今までの時間をかけてできあがる。
・・・・ということは、今の生き方が5年後、10年後の顔になっていくのだ。
そう。今の生き方に気を抜けない。


もう一つは今の顔の中でも、
シーンやシチュエーションによって人はいろんな顔をするものだが、
どんな時にいい顔をするか?という視点。

今までのことはもう済んでしまったことだし、今さら変えようもないけれど、
今の顔は、同じ人でも、いろんな顔をすることがある。
何をしている時に、どんな話をしている時に、誰といる時にいい顔をするか、
という視点だ。

先日行った「いい顔」撮影会は、後者の視点から行った撮影会だった。

撮影する前に一度お会いし、その方が今までに楽しかったこと、うれしかったこと、ご自慢、人生の転機等々、その方の魅力をひとつづつ確認していく。
どんなお話をする時にどんな顔をするのかを確認させていただだく。

○○の話で少し照れながらはにかんだ時、
家族のご自慢を話しているとき、
つらく厳しかった時のことを思い出そうとしている時、
海外で暮らしていたときの風景を思い浮かべた時、
等々、
お話を聞いた後で、素敵な顔になる瞬間をご本人にお伝えする。

撮影は、それを踏まえた後の撮影だ。

もちろん撮影するのは私ではなく、プロのカメラマン。
その方がキラキラする時のお話を、私がより詳しくお聞きしながら、撮影が始まるのだ。
話すことに集中して写真を撮られている意識が薄まっていく。
聞いている私も、お話が面白くて撮影よりもお話に、ついつい夢中になっていく。

そういう時に出てくる「いい顔」が一番魅力的だ・・・というのが、そもそもの私の持論。
だから、「その時」をプロに押さえてもらうのだ。
作った顔ではないし、オスマシ顔とも違う。
私はそれを、「声が聞こえてくる顔写真」と言っている。
 
その人をよく知る人が見れば、その人の声、話した内容を即座にイメージできる。
ムービーのような写真だ。

もしもその人を知らない人が見れば、
その人の声や話しそうな内容をなんとなくつい想像する。
だから、仕事上のプロフィール写真などに有効なのだ。

斜め45度のカメラ目線でスマシたプロフィール写真や、証明書写真のようなプロフィール写真とはまったく違い、新規顧客にとっては、どんな風に話をする人かイメージしやすくなる。

昨今のプロフィール写真は美し過ぎて、カッコよくしすぎて、いざ会ってみると別人かと思うくらいでイメージダウンを招いてしまうことも少なくない。
私自身はそういうプロフィール写真には疑問を持っていることは以前にも書いたことがあるが、そんなことからこのような撮影方法を採用している。

「自分のことを話すなんて、普段しないから不思議な感じ。
漠然と思っていたことが言葉になり、撮影自体が心地よい空間だった。」

今回のお客様の言葉だ。


かつて勝間和代さんが「結局女はキレイが勝ち」(マガジンハウス)を書いた時に、趣旨とは違う形であれこれ言われたことがあったけれど、勝間さんもこのとき、目鼻立ちを「キレイ」と言ったわけではなかった。

数日前の朝日新聞の「再読 こんな時 こんな本」では、
「いい顔」についていろんな視点で書かれた本が紹介されていた。



記事には代官山 蔦屋書店の間室道子さんのコメントが紹介されている。

独特の生き方、文学がにじみ出た魅力的な顔。
生まれ育った目鼻立ちを嘆くより、そんな「いい顔」を、して生きていけたら
幸せだと思う


まさに、同感!
「いい顔」で生きていけたら、幸せ。

そう思って、私は「いい顔」撮影を提案し、「いい顔」で生きていけるような提案をしている。




大人のための出張青空写真館 アイ・フェイス
http://www.travessia-i-face.jp/


自分らしく生きるには ヒキダシスト・セッション
http://www.travessia-endingnote.biz/brand_prd/index.html

エンディングノートを使って、自分自身を発見する
http://www.travessia-endingnote.biz/


2015年2月12日

人は動かなくなった。これ、気のせいじゃないと思う。

ISIS(アイシス)の人質事件から、後藤健二さんへの共感、賞賛が叫ばれているけれど、結局それだけ。その後の活動につながらない、
・・・と問題提起している記事があった。

ヤフーニュース「共感して、それで終わり?後藤さんを賞賛する人たちへの違和感」
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20150210-00066516-diamond-soci

あ、これ、私のこと・・・?
考えてみると、
私は、昔に比べて動かなくなった。
それは、上記のような社会的なことだけでなく、あらゆることにおいて、だ。

動かなくてもいいくらい便利なことが増えたから、動くのが面倒になってきたのだ。きっと。
あーあ、私は随分怠惰になってしまった。。
そう思っていたのだけど、どうやらこれは私だけのことではないようだ。

こういう社会的なことに限らず、いろんなことに対して人は動かなくなった…ような気がしてならない。

広告してもモノが売れなくなってきた、と言われてからも、随分経つ。
買う、というアクションをしない。
買おうかな、と検討する。
本当に必要かな、などと考えて、買わない。行動しない。
まあ、消費者としては賢いんだけど。

ネットで調べる。
情報を集める。
・・・でもそこまで。
心は動くんだけど、行動しない。

人は本当に動かなくなってきた。

そんな時代だから、私は敢えてカラダを動かしてみようかなと、今、思い始めている。
動いてみると、違うことやものが見えてくるような気がする。
意識して動いてみると、今より動けるようになるのではと期待している。

さて、どうなりますやら?

2015年2月11日

蛇口を閉めてください

全国チェーンのカフェのトイレに入った時のことだ。

洗面所の水道にあった貼り紙。

蛇口を閉めてください

水道の蛇口を閉めない人が多いから貼ってあるんだろう。

手を出すと自動的に水が出てくる水道が当たり前になってきて、
いつの間にか水道の蛇口を閉めない人が増えているのだ、きっと。

タクシーに乗り慣れていると、車から降りるときにドアを自分で閉めなくなる。
出入り口が自動ドアじゃない飲食店で、食べ終わってドアを開けたまま出ていく人の多いこと!
車を運転するときに、地図があってもカーナビがないと、どこに行くのも不安になる。

等々、枚挙にいとまがない。

日本にやってくる外国人観光客が、
タクシーを止めるとドアが開き、トイレに入ると便座が開くのを見て
「クール!」と言うそうで、日本のおもてなしの一例として高評価なのだそうだ。

けれども、トイレに入ったら流されていなかった・・・
ということに私は最近何度か遭遇し、果たしてこれでいいのかなと思う。

そう言えば私が子どもの頃、地方のトイレはまだ水洗じゃないトイレも多かった。
都会だって、時々水洗じゃないトイレがあった。
だから子どもの頃は、トイレに入ると流されていなかった・・・という経験が時々あったものだ。
けれど、中学生くらいになったらそんなことは、まずなくなった。
どこの家庭でもトイレは水洗が当たり前になってずいぶん経ったからだ。

それなのに、今頃になって、駅やデパート、公的施設などのトイレで、
何度か流されていないトイレに遭遇する経験をすると、これは自動化が進んだせいなんじゃないかと思う。

人の慣れって恐ろしい。
自動化が当たり前になって、怠け者になっていく。

PCのせいで漢字が読めるけど書けなくなった・・・

時代の移り変わりだからいい?!
う~ん、よくないでしょう?!
ここまでくると「クール!」なんて言えないと思う。

でも便利なせいで怠け者になる。
便利なせいでルーズになる。
なんかSF映画みたいだけど、そのうち、便利が私を蝕んでいくような気がする。

2015年2月10日

女性の仕事服は結構自由だけど、何を着たらいいの?

かつては、仕事服と言えば女性も大体スーツと決まっていた。
ジャケットとパンツ(またはスカート)、そして足元はパンプス。

昨日、妙に女っぽさを強調するバリキャリ女性のことを書いたけれど、
そもそも昔はナマ足なんてありえなかった。
それがいいかどうかは別の話だが、当時の私は仕事服でそう悩むことはなかった。

しかし今は、必ずしもそうではない。
女性キャスターやアナウンサーの服装を見ると、その変化がよくわかる。
昔はスーツが当たり前だったけれど、今の女性キャスターやアナウンサーでジャケットを着ている人は少ない。

業界、会社、社風によって、おそらくかなり差があるのだろうが、今のビジネス服って難しいと思う。
自由度が増し、個人が個人の主張で自由に選択できる。
でも自由だから、選べなくなるとつらくなってしまうのだ。

会社員ではない私は、何を着ようか、と毎日悩んでいる。

その時間が本当にもったいないとは思うのだが、スーツのようなルールがないから、何を基準に着る服を決めたらいいかわからなくなり、悩ましくなるのだ。

○○さんと会うから。
○○な場だから。

そうやって一応考えるのだが、
まず自分がどんな服を着たいのかが、よくわからない。
だからどこで服を買ったらいいかが、よくわからない。
自分のファッションセンスにも、ほとほと自信がなくなる。
なんか、すごくみっともない恰好をしているんじゃないか、と。

かと言って、人に薦められるとそれは自分の好みではないからちょっと・・・

ややっこしい話だ。
でも私の周りにはそういう風に言う人が数多くいる。

自由というのは難しい。
自分の好みを自分でよくわかっていないと、選ぶことはできない。
でもそれは、たぶんファッションだけではない。


2015年2月9日

女っぽさをアピールしたくなるのは、少し無理しているから。

昔の同級生と久しぶりに会った。

私たちが仕事を始めたころは男女雇用機会均等法の前だったから、
まあそれなりにいろいろあった。
そのたびに、うまくかわしたり、考えたり、説得したりしながら、
ちょっと前までの4半世紀くらい、会社員をやっていた同級生だ。

今さらながら、何のために働いていたのかな・・・?
○○のために、○○が作りたくて、等々いろいろあるんだろうけど、
さて、私の場合は・・・?

仕事はそれなりに充実感があったし、やりがいもあったけど、
何のために働いていたのか、自分のことをふり返ってみると
女が働きやすい道筋づくりのために働いていたのかな・・・・?

久しぶりに会って、互いにそんな話をした。

2月7日の朝日新聞でも、
女性記者が働き続ける苦難を書いていたけれど、
まだまだ女性が働き続けるのは、乗り越えることがいっぱい。楽じゃない。

朝日新聞
報道の仕事、なぜ彼女は辞めたのか 妻となり母となり…


それでも、私たちが働き始めた頃と比べるとずいぶん変わった。
少なくともパブリックな形では女性差別は禁止なわけで、それに理解を示そうとする人は増えた。
私たち、それなりの道筋は作ってきたよね・・・、そんな思いもないわけではない。

そんな中で気になる記事をみつけた。

J-CAST 会社ウォッチ
「生足ショートパンツの女性部長」への違和感の正体

キャリア志向で、ある程度の位置に上ってきた女性が、
過剰に女らしさをアピールするファッションだというのだ。

男社会のなかで上がってきた女性の一部は、
「過剰に女らしい服装」を好むのだろう、と。

評論家の小倉千加子氏は、バブル時代に出した『女の人生すごろく』(1990、筑摩書房)で、興味深い指摘をしています。いわく、女性が男性の部下をもつと、あるジレンマに陥るというのですね。今までは「女らしさ」という、ある種の「演技」をしていればよかったのですが、管理職になると、「リーダー」として「男らしく」部下を指導しないといけないからです。

そこで、強靭なリーダーシップと「女らしさ」を両立させようと、ファッションで「女らしさ」を演出しようとする人も、いるのだそうです。平社員女子よりも、管理職女性の方が、時に女らしい格好をしているのは、こうした理由もあるのかもしれません。

果たしてそうなのかどうか、私には今一つ釈然とはしないが、
ファッションというのはどこか「記号」めいたものがある。
かつて「勝負服」という言葉があったが、ファッションで自分に役割を与えていくのだ。
「プレゼンスーツ」とか言ってたっけ(笑)。
形から入るのだ。気持ちもそれによって上げていった。

今回の記事は、その逆を感じた。
日頃、男っぽくしている自分にどこか違和感を感じながらやっているから、
自分の中で均衡を保ちたくて女性を意識したファッションで身を包む。
「私は女ですよ」と言わずにはおれないとでも言おうか。

わからなくもない。

私の場合はファッションではなかったが、自身をふり返ってみると、
ガツガツ働いているイメージに見られるようになると、
無意識に「私には女らしい面もある」と見せたくなっていたような気がする。

「意外に料理が得意」
「家庭では夫を立てるようにしている」・・・

そんなこと、会社の中で理解してもらう必要などまったくないのに、
なぜか、世間話の中で言いたくなったものだ。

それは、たぶん自分自身の「男らしい」とか「女らしい」とかの意識に
とらわれているせいで、言わずにおれなくなるのではないかと思う。
本来の自分とは違う形で自分を演出しているうちに、
振り子が大きく振れすぎてしまっているのではないかと思うのだ。

きっと、自分らしいスタイルで働いていれば、必要以上にアピールする必要がない。
でもちょっと無理してるから・・・。

女らしさをアピールしたファッションに身を包む今のバリキャリ女性たちは、
きっと今まで無理して(彼女なりに)男っぽくしてきたから、却って女っぽく見せたく
なるのかもしれない。

「男っぽい」「女っぽい」って何だろう?

それに縛られているのは本人であって、
自分の中に「本当は女はこうあるべき」という自分なりの勝手な価値観や物差しが
隠れていることも、ついアピールしたくなってしまう原因になってしまうのではないか。

社会は少しづつ変わりつつあるけれど、変わっていく途中には、いろいろな無理がある。
男とか女とか意識なく、
自然体のその人らしいバリキャリで進んでいけるようになるまでは、
もう少し時間がかかるのかもしれない。




今の働き方、自分らしいスタイルかしら・・・?!私らしいって何だろう?!
そんな風に思っている方のための、
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初回無料なので、ご相談はお気軽にどうぞ。

2015年2月7日

人のつながりで、「空き家」や「半空き家」の活用が進めばいいと思う

私の世代は、家を建てることは一人前の証のように思っている(いた)節がある。
そのため、不動産を購入後にバブルが崩壊し、所有していた不動産価格が暴落して痛い目にあった経験がある人がちらほらいるけれど、それでも不動産への執着はなかなか捨てられない。

不動産を持たねば! 持ってないと!
・・・どこかで、そんな風に思っているところがある。

たとえお金がなくても不動産さえ持っていれば、いざという時に不動産を担保にお金が借りられる(だろう)。
いざとなれば不動産を売ればいい(だろう)。
そんな風にも思っていた。

2年前、自宅の内装工事をすることになり、困ったのは工事中の寝泊り場所だった。
ほんの1~2か月、寝泊りする場所。
それも、寝泊りするだけでなく少々の家具も一緒に。

部屋を借りようとすれば、一般的には敷金+礼金+家賃。
ほんの1~2か月なのに、とんでもない金額になる。
お金だけでなく、愛猫も一緒に連れていくためにほかの条件も次々出てくる。

困っていた時に声をかけてくれたのが友人だった。
友人のご両親が住んでいた家に・・・、というありがたいお話だったのだ。

ご両親は病気療養中で、当時は空き家。
いつ戻ってこれるかはわからない。
家財も荷物もそのままの状態だが、それでよければ・・・、という話だった。

我が家はその好意をありがたく受け、家具や一部電化製品を持ち込んで、愛猫と一緒に2か月近く、その家で暮らさせてもらった。

東京都内、自宅から車で約15分の距離。
近隣の多くは、20~30年前からそこで暮らしている人たちだ。
山手線主要駅まで電車で10分以内で都心へのアクセスもよい便利な場所であるにもかかわらず、
周囲は空き家だらけだった。

空き家にもいろいろあった。

持ち主が元々高齢の一人暮らしだったが、体調不安で今は子供夫婦の家で暮らしているために空き家、
売りに出しているけどなかなか買い手がつかない空き家、
持ち主が入院中で売る気がない(売ることができない)空き家、
持ち主の意志が確認できなくて売れない空き家、
いずれ回復して持ち主が戻ってくるかもしれないから今は空き家・・・

私たちが仮住まいさせてもらった家は、私の友人が家の中の空気の入れ替えや郵便物の確認をしに、週に何度か通っていた。
ご両親が戻ってくる可能性は低いものの、家財には手をつけられないし、家を貸すこともできないという話だった。

我が家にとっては大変ありがたい話で、ご厚意に甘えさせてもらうことにした。

ほんの2か月足らずではあるが、その間、ご近所とご挨拶をしたり、ゴミの出し方の相談をしたり。
いろいろ面倒を見てくれるご近所もいらして、わずかの期間とは言え、空き家だと何かと物騒だからと、私たちが住んでいること自体を、喜んでもくれた。


今、そんな空き家があちこちにたくさんあるのだ。
それは田舎の話ではなく、都会の話だ。

かつて持っていた不動産信仰は、もはや夢物語である。
よほどの好条件物件でもない限りそう簡単に売れるものじゃないから、「いざという時に売ればいい。」なんて幻想だ。
むしろ処分する方が大変で、財産になどならない時代になろうとしている。

2年前に私たちが仮住まいさせてもらった家は、私たちの仮住まいがきっかけで、今、私の別の友人が二人でルームシェアして暮らしている。
私が家主側家族に友人たちを紹介し、メリット・デメリットを互いに確認し、お話し合いの結果、交渉成立となったのだ。

交渉成立後、受け入れるにあたっては家主側の準備も、家財の整理や補修など大変だったけれど、それをクリアして、今、庭つきの昔ながらの昭和の家に、大人の女性二人が一緒に暮らしている。
キッチンやバストイレなどは共有するが、それぞれがきちんと個室を持つ。
ホワイトボードで互いの必要な連絡を取り合いながら、余計な介入もせず各々が自分のペースで暮らしている。
互いに無理して合わせることはないが、一緒に暮らすから互いの健康状態や仕事のことなどを気遣い合いながら暮らしているのが伝わってくる。

家主家族も時々やってくる。
様子を見に来るだけでなく、彼女たちが預かった家主宛ての郵便物や置いてある荷物を取りにも来る。
無意識だけど、互いに近況を確認し合っている。

都会の空き家が増える今、その家をどんどん活用しようという声はよく上がるけれど、現実問題として、家の中には家財がある。
だいたい空き家になる前には「半空き家」の状態があり、半空き家の場合は家主がいないわけではない。
そう簡単に家財を処分などできるわけないのだ。

元気のうちに片づけておけば・・・とよく言われるけど、「そのうちに」「少しづつ」「やろうとは思っているんだけど」そう言いながら、現実はなかなかそうはいかない。
家には人の暮らしがあって、家財には家族の思い出もある。
家族が体調を崩して入院中で、その入院がいつまでになるかメドも立たず、回復の見込みがあるかどうかわからない状態で、今その家にいないからと言って、家族がそう簡単に片づけられっこない気持ちは、痛いほどよくわかる。
でも家財ゼロの空っぽにならなければ、通常は別の形でその家を活用することなどできっこないのだ。

友人二人のルームシェアを見ていて、「半空き家」の新しい住まい方だな、と思う。
今回これが成立したのは人と人とのつながりがあったから。

偶々私がそこに住まわせてもらう機会を得たこと、
そういうお宅に仮住まいした話を友人にしたこと、
引越を検討できるような状態の友人がいたこと、
等々の偶然が重なり、それを結び付けることができたからだ。

全然知らない人同士だと、たぶんなかなかこうはいかないかもしれない。
私の両親が二人で暮らす家も、今は二人でなんとか元気に暮らしてはいるけれど、これからどうなったいくかわからない。半空き家になる可能性だって高い。

空き家対策はもちろん大事なことだけど、半空き家の状態から活用ができればいいと思う。


2015年2月5日

考えるだけで終わってしまい、行動しなくなっていくのはなぜ?

昔、私は「危なっかしい。」と、よく言われた。
考えるよりも先に行動するから。
考えずに走っていくから、ガードレールがない急カーブの道を走る車のようだ、と。

もっと慎重になれ。
よく考えろ。

それが今、ふと気づくと、私は行動するまでに時間がかかっている。
下手すると、考えているだけで行動までいかないこともたくさんある。
行動する前に、考えるだけで終わってしまうのだ。


 こんなことして意味があるだろうか。

 これをすることで周りの人はどう思うだろうか。

 自分がこの行動をすることは、他の人と比べてどうだろうか。

 なんのためにこれをやるのか。

 こんなことをしても、時間の無駄かもしれない。


こう考え始めると、もうだめだ。
行動は完全にストップする。
そして、今やらなくてはいけないことしか、行動しなくなっていくのだ。
結果、どんどん尻つぼみになる。

怖いことに、この傾向は年齢を重ねると拍車がかかってくるような気がする。
今まで失敗をし、イタイ思いをし、いろいろな経験を経て、智恵もついてきた。
知見をどんどん重ねるからこそ、いろいろなリスクが想定できるようになる。
でもそれが気になって、行動できなくなるのだ。

知見が増えたせいで、持論も凝り固まっていく。
だからきっと、「年寄りは頑固だ」と言われるのだ。

私自身も例外ではない。
危なっかしいとは言われなくなったのはいいことかもしれないけれど、
気づくと行動を起こすのに時間がかかる。
行動を起こすのが面倒になることも少なくない。

それは挑戦めいたことだけでなく、
例えば新しい服や靴を買う時ですら、
どうしようかな~と思っているうちに、結局買うのをやめてしまう。
行ってみたいと思う場所についても、それが近くの街やお店など他愛のない場所であっても、そのうちね~と言っているうちに結局行かない。

そして、そう思っていたことすら忘れてしまう。
行動しないからだ。

まずい、まずい。

でも、きっと年齢だけではない。
今は情報がいっぱいだし、簡単に調べられるので、
行動しなくても、「わかった気になれる」こともあるんだろう。
人は総じて行動しなくなったように思う。

だけど、驚くほど行動的な高齢者も、たくさん存在するのも確かだ。
そこにはいったい、何が関係しているんだろう。

そういう人たちに、これから私は話を聞きに行こうと考えている。
さあ、考えるだけで終わらないようにしよう(苦笑)。

2015年2月2日

「人の顔」が気になる。その顔の背景が気になる。

今まで私は人の顔が気になると言い続けてきたけれど、それはなぜなんだろう。

ただただ、人の顔が気になっていた。
この人は、なんでこうい顔になったんだろう?
いつの間にこんなに素敵になったんだろう?
あれ?昔はきっと美人さんだったろうに・・・?

そして、その延長線上で、最期に遺す顔、つまり遺影までが気になるのである。

いつも、気づくとそう思いながら人の顔を見てきた。
でも、なんでそんなに気になるんだろう。
それは人の役に立つのだろうか。

・・・そういうことを、今まで私はあまりきちんと考えてこなかった。

考えてみると、私が気になるのは、顔だけではなかった。
その人の生き方というか、今までどんな人生でしたか?とか、苦労したんですね?とか、そんな実績をお持ちなんですね?とか、そういうこととセットで、顔が気になるのだ。
誰だっていろんな形で今まで頑張ってきた。
人それぞれいろいろなことがあり、それを一つづつ乗り越えてきた。

その方の人生を聞くと、そういうことの集大成が、今のお顔なのだ!と、お顔を見ながら妙に腑に落ちる気がするのである。


そんな風に人の顔に気になることがいったい何の役に立つのか。
誰の役に立つのか。

私が見たい顔は今までの人生話とのセットである。
だから、それなりにいろいろな経験を重ねてきた顔、ある程度年齢を重ねた方の顔の方が気になっている。

だけど残念なことに、歳を重ねる人ほど過去の自分をあまり語らない。
過去の自分を認めようとしなかったり、控えめや謙虚であることを美徳とする方も多い。

私なんて・・・・。
大した人生じゃないし・・・。
ただの平凡な普通の人生・・・。
何の取り柄もなかったし・・・。
う~ん、これが本当にもったいない。

私はそういう話をしている時の顔を見ながら、今までの話を聞きたいのである。
人それぞれ、いろいろな人生があり、それはどれも愛おしい。
本当は、本人が一番愛おしく思いたいはずなのだ。
だからそういうお話をしているとき、人は目を細めたり、くしゃくしゃに笑ったり、
凛とした強さを見せたりしながら、とても魅力的な顔になるのだ。

こういうお話をした時間や、人生をふり返ったことや思い出そのものが、
きっとその方の力になるのではないかと思うのだ。

今の時代、
なんとなく年をとるのは残念なこと・・・そんな雰囲気がある。
将来は不安だし、何事にも悲観的で。

だけど今までだって苦しいことはあっただろうし、
ふり返りながら、自分の人生を愛おしく思えると、
悲観的な思いが少し軽くなりはしないだろうか。
周りの人の人生も聞いてみたくなったりはしないだろうか。

そんなことを話しながら、
そうそう!なんて言いながら盛り上がったりするかもしれない。

そんな思いから、これからの時間を今以上に大事にできるはずだと思うのだ。

そういう時に、同時にプロに撮影してもらうと、その写真を見てほとんどの方が
「あら、私、こんな顔して話をするの?」
「これ、なんか私っぽくない気がするけど、悪くないね。」
などとおっしゃる。

日頃、鏡の中の自分しか見たことがないから当たり前ではあるのだが、
周りの人が知っている顔はまさにそういう顔である。
自分の知らない顔を見て、自分への元気のモトにもなる場合もある。

一方で、周りから見れば凛としてステキ!と思うお顔をご本人が嫌がり、
全く別のお顔をお気に入りとおっしゃる場合もある。
人それぞれであることの面白さだ。


さて、つい先日、今までの人生をお聞きしながらの撮影会を開催したのだが、
まさにそういう時間になった。

撮影中にご自身のポリシーとも言えるような、名言を吐かれたりもする。
おそらくご本人は何気なくお話しているのであろうが、驚くくらいの名セリフが飛び出すのだ。
う~ん。さすが!

ちなみに、若くても名セリフ、飛び出します。