2015年2月20日

維持したい恒常性。でもそのためには何が心地よい日常なのかわかる必要がある。

私は、若い頃から体温調節がうまくいかない体質だった。
寒がりで暑がり。
学生時代にスキーに行くと、
山頂では吹雪いているが、下に滑って行くと晴れているから、温度は全然違う。
寒がったり暑がったり忙しい私を、仲間たちはホメオと呼んだ。

ホメオ・・・ホメオスタシスの略だ。
私をホメオと呼んだ仲間たちは、栄養学を学んでいた大学の同級生だ。
人間のカラダは、恒常性を維持しようとする。
ホメオスタシスとは恒常性の維持のこと。

人のカラダは、外が寒くても暑くても体温を一定に保とうと体温調節する。
食べ物がなくなったら、食べ物が少なくても大丈夫なように
人間のカラダはエネルギーを消費しにくいカラダに変わる。
この恒常性を維持しようとすることをホメオスタシスと言う。
私はこれがうまくいかないと思われて、
ホメオスタシスしっかりしろ!ということからホメオと呼ばれていたのだ。

まあ、実際に私のホメオスタシスがうまくいかなかったのかどうか、
真偽のほどはわからない。

さて、恒常性を維持しようとするのは、きっとカラダだけじゃない。
ココロも、気持ちも、考え方も、同じだ。
要は慣れなのだろうが、自分にとっての日常、
すなわち自然で心地よい形というのも、いろいろあるはずだ。

暑がり、寒がり・・・、
食事するなら、少量でも品数をたくさん、好きなものをドカン!とたっぷり。
静かにしているのが好き、いつもにぎやかなのが好き。
常に音楽が流れていた方がいい。
音楽を聴くなら、ジャズを、和製ポップス、洋楽・・・
海派、山派。
イヌ派、ネコ派。
等々。

これらもある意味、恒常性かな。
それが自分にとっての日常で、その方が心地いいこと。
維持したいものだ、きっと。

もちろん、時の経過とともに変わることもあるのだが、
エンディングノートって、
実はこういうこと一つ一つを記録しておくものでもあるように思う。

親が高齢になり、弱っていくのを見ていると、
本来、親が大事にしている恒常性がどんなことかを周りが知っておくと、
将来いろんな場面で生かされるであろうことが、想像できる。

特に、余命いくばくもない重篤な病気になったり、
要介護になったり、認知症を発症したりした場合に、
そういうことを知っているかどうかで、大きな違いが出ると思うのだ。

だけど、今一緒に暮らしていない親子だと、親の日常、
つまり今の心地よい恒常性がどういうことなのか、実はあまりよく知らない。

私も、実家の親とは、メールなどでまめに連絡を取っているつもりではあるが
実際には月に1~2度しか会わない。
両親は夫婦2人で暮らしている。
会えばたくさん話はするけれど、たぶん親は娘に対してカッコつけたいし、
威厳も守りたいし、まあきっとお互いにいいところだけを見せて話しているようなものだ。
だから、実際の今の日常など、意外に知らないような気がする。
私が知っている親の日常は現役世代の時の親であり、弱ってきた高齢の親の日常ではないからだ。

人はきっと、身も心も恒常性の維持を求めてる。
恒常性は少しづつ変わってはくるのだけど、今の恒常性を維持したいのだと思う。

自分にとっての恒常性ってなんだろう?
親にとっての恒常性って何だろう?

そんなことを考え、あぶりだすのに、
エンディングノートは便利な道具だと改めて気づく。
老いじたくなんかではなく、
今の親のことを気にするための道具として、
エンディングノートはなかなか使える。