2015年4月18日

人生は山登りとは違う。・・・そう言えば長い長い踊り場があった。

人生はしばしば山登りにたとえられる。
少しづつ少しづつ登っていくから。

この登るってどういうことなのか。
私は成長することだと理解していた。
がんばって少しづつ少しづつ登っていく。~そういう風に思っていた。

つまり、一生懸命生きていれば(=がんばれば?)、
人はこういう感じ↓に成長するものだと、どこか思いこんでいる節がある。



だけど、自分の昔をふり返ってみると必ずしもそうではなかった、と思う。

学校時代の勉強や成績は、まあ、意外とこういう感じだったのだが
社会人になってからはまったくこうはならなかった。
仕事面での成長はもちろん、人間的な成長(?)となると、ほとんどこうはならなかったように思い返すのだ。

残念ながら、どんなに一生懸命がんばったとしても、そうそう成長なんかしない時がある。
残酷なくらい、停滞することもしばしばだった。
勘が良くてどんどん成長する人を間近で見るとそれを羨み、
そうならない自分が本当に嫌になる。
そのたびに私の場合は自己嫌悪し、
もう無駄だからがんばらない!とふてくされたりしたものだ。

だけど、ある日ふっとできるようになったり、
これだったか!と憑き物が落ちるようにわかったりすることもあった。

つまり図にするとこんな感じ。


最初のうちはまあ、やればやっただけできるようになるんだけど、
すぐに全く成長しなくなる。
ちっともできるようにはならない。
そのずっと前に比べればできるようになっているんだけど、
自分ではそれに気づかなくて自己嫌悪がどんどん膨らんでいく。

階段だと思っていてもそこは広い広い踊り場で、いつまでたっても
どんなに前に進んでも、なかなか上に登れないのだ。

それでも仕方なく嫌々でも続けていると、ある日突然、

あ、これってこういうこと?

こういう風にやればいいのか!

言っている意味がわかった!

など、急に気づくことがあった。

それをきっかけに今度はどんどん楽しくなって、またがんばろう!と思う。
つまりモチベーションが上がるのだ。

でもまたすぐに停滞に入る。
もうイヤだ! どうせできっこない、と思う。
そしてまたふっと気づく。

今、改めてふり返ると、働いてきた30年間は、こういう繰り返しだった。
それなのに、かつてそうだったことを今、すっかり忘れていた。

新しいことを学ぶとき、新しいことに向かう時、新しい仕事を始めるとき、
うまくいかないと、ああ、もうだめだと思う。
嫌になる。
やる気満々だったのが、だんだんやる気も失せる。
好きなことまで嫌いになったりする。
実際、それでやめてしまったこともいくつかある。

だけど・・・・・、
そうだった、そうだった。
続けていると、いつか気づくことがあるんだった。
なんでこういうこと、忘れちゃうんだろうね~(苦笑)。

働こうが働かなかろうが、それが趣味であったとしても、
続けているとある日突然、ふっと気づく日が来る。
続けなければ、そこで終わり。
できるようになるはずなどないのだ。

いい歳して何やってんだろ?!
今さらがむしゃらにがんばるなんて。
〜〜そんなことを思うのは、今までどうやってできるようになったかを
忘れているからなのだ。

私自身も今までをふり返り、今の自分にヨシヨシしながら励ますのである。
年齢を重ねれば重ねるほど、いろいろな経験をしているから
自分の人生をふりかえる価値は若い頃よりもさらに大きいはずだ。







次回のテーマは、人生の地図を描く(マンダラエンディングノートを使って)
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