2015年8月27日

カラダも頭も気持ちも、野菜栽培のような「連作障害」、起きてませんか?

野菜栽培で、連作障害ということがあります。
毎年同じ場所に同じ野菜を繰り返し作ることで、
次第に生育不良になっていくことを言います。
それは野菜だけじゃない・・・
人のカラダも、頭も、気持ちも、似たようなことがあると思いませんか。

自分の肌で感じる連作障害?

私は化粧品にはあまりこだわりを持つ方ではないけれど、
それなりの年齢になってきたせいか、
基礎化粧品は特にいい加減なものは使いたくない、と思うようになってきた。
何をつけても荒れることなく元気だった肌が、敏感肌になってきたからだ。
それで、素性がわかるもの、自然なものを愛用する傾向になった。

10年近く前にあるきっかけで、いいものだからと使い始めた美容オイルがある。
使い始めた当初に劇的に肌の状態がよくなり、
すっかり虜(とりこ)になって、即、私の愛用品になった。
それから5年くらい使い続けたが、当初の劇的な喜び(?)を感じたことも忘れ、
愛用しながらも普通の日常になっていった。

ところが、あるきっかけで別の基礎化粧品を使う場面が訪れ、
新しいものを使ってみたら、あら不思議。
・・・そこでまた劇的に肌の状態が変わったのを実感したのである。

それは、10年前によくなって、さらに5年前によくなって、と言うんじゃない。
10年前によくなったけど、それがだんだん元に戻っていって、そしてまた新しい刺激でよくなったのだと思う。
同じものを使い続けていくうちに、その効果がなくなって行くのではないか。
まあ連作障害ほどひどいもんじゃないけど。

愛用品が連作障害を起こしていたのかどうかはわからないけれど、
感動的なモノも、毎日になれば日常になり、
私の肌にとっては「特別なもの」ではなくなっていったのだろう。

いろんなところで、実は慣れによる弊害がある

似たようなことは日々の日常にもたくさんあるのではないか。

たとえば運動。
面倒くさくてカラダを動かさないと、それが日常になり、どんどんカラダが動かなくなっていく。
ちょっとした運動を始めたとき、カラダはしんどいけどスッキリする。
でもそれが日常になると、しんどくないけどスッキリもしない。
だんだんとカラダに負荷がかからなくなってるから、
鍛えられる効果はどんどんと落ちていってしまうのだ。

たとえば頭。
今までの得意分野、慣れているフィールドは、わかりやすいし楽ちんだ。
そこでだけ頭を使っていると、自分が錆びていくのを感じてハッとすることがある。
普段あまり考えないことや知らない分野の情報に触れると、
難しくてわからないことも多いけど、嫌になったりもするけれど、
新しい世界が開けることがある。
ちょっとしんどいんだけど、自分の中で新しいスイッチが入るのを感じる。

怖いのは、無自覚な気持ちの「連作障害」

同じことを繰り返すことは楽ちんだ。
手間も楽だし、気も楽だし、
時間やお金もかからなかったり、効率的でもあるだろう。
だけどそれが柔軟性を奪って行ったり、頑固に向かわせたりするような気がする。
言わば、気持ちの「連作障害」だ。

特に年をとってくると面倒くさがりになるから、それに拍車がかかっていくのだ。
でも意外にそういうことに自分では気づかない。

誰よりも好奇心が強くて、誰よりも冒険心満載の猪突猛進だったはずの私は
いつのまにか慎重で細かい人間になっていた。
慎重だったり細かかったりすることは悪いことじゃないけれど、
知らないうちに新しいものを受け入れにくい体質になっている可能性大だ。
いけない、いけない。
私の中で「連作障害」が起きようとしているのかも?!

新しいことを始めること、知ること、やってみることは、
意識しないと始まらない。
継続は大きな力ではあるし、否定をする気はないけれど、
新しいスタートの面白味に、もっともっとワクワクしていきたい。
モノにも、コトにも、人にだって、気持ちだって。







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