2015年9月21日

自分史とエンディングノート・・・どちらも自分らしく生きるための道具だと思う

自分史を書くって、どんなイメージでしょうか。
かつて私が抱いていたイメージは、
ご年輩の偉い男性が今までの功績を記録に残す・・・って感じでしょうか。
でも実際には、考える人は男性が多いそうですが、いざ書くのは女性の方が多いそうです。

さてその自分史、書くのは目的ではなく、あくまでも手段。
だってそれによって、どんな人でも今よりも少し(人によってはとっても)幸せになれそうに思うのです。

自分史フェスティバルが開催中

このシルバーウイークに、日本橋三越の7階で自分史フェスティバルというイベントを開催中だ。


会場は異なれど、毎年開催しているこのイベントを主催しているのは
自分史活用推進協議会。
私自身はそのメンバーではないが、協議会のテーマや考え方には共感することが多い。
3年めになるが、今年はデパートでの開催も加わって面白いコンテンツがあり、
イベントに関わっている人には知っている人も多いので、出かけてきた。

自分史とエンディングノートは重なる部分がある、と思う

そもそも私がエンディングノートに出会ったきっかけは遺影だ。
私が、人の生き方がにじみ出る顔つきというものに興味を持ち、
その究極が遺影だと思い始めたことが始まりだ。
遺影について語り始めたところからエンディング業界(人の死の周辺)の方々と
つながりができた。
私が初めて見たエンディングノートを開いたとき、
それはいい顔つきになるために考えておいた方がいいことが詰まったノートだと
思った。
その項目一つ一つを考え、なぜそう思うのかを考えることは、
今までの生き方を確認することそのものだと思ったから。
それはそのまま、これからどう生きたいかにつながっていく。

だからエンディングノートを開くことは、
これから自分がよりよく生きていくための作業だと思うのだ。
この部分が、エンディングノートと自分史がよく似ていると思うところである。

だけど、残念ながらエンディングノートも自分史も、年をとってから書くものだと
思う人が多い。
私自身もずっとそうだった。
だけど、そうじゃないんだよなあ・・・。
そんなところも、よく似ているところだ。

たとえ20歳であったとしても、それまでの人生をふり返ると見えてくることがある。
エンディングノートも自分史も、今までどう生きてきたのかをふり返るもの。
エンディングノートは人生のゴールである「死」から逆算して今を考える作業
とも言える。
自分史を書くための準備は、
生まれてから今までの自分を思い起こしていく作業だ。

20歳の自分史なんて、まさにこれから生きるか、どうしたいのかを考えるために
絶好な道具になるに違いない。

本来はもっともっとずっと手前のことこそ、考えたい

私は1年半前に「失敗しないエンディングノートの書き方」を出版したことがきっかけで、終活やそれに関連したお話をさせていただく機会をいただくようになった。
普通エンディングノートというと、
相続、医療・介護、葬儀などの専門家さんがお話することが多いのだが、
私がお話する場合はその手前の話。

そもそもエンディングノートって何?
なんのために書くの?
書いていいことってあるの?    などなど。

なぜならエンディングノートっていざ書こうとすると結構大変だし、
実際に書いている人は5%未満ととても少ないからだ。

エンディングノートの話をするときに、その前提として私が必ず話すことがある。
・遺言
・遺書
・エンディングノート
これらはそれぞれどういうものなのか?
いったい、何が違うのか?
実際問題必要なのか?
ということ。

遺言、遺書、エンディングノートは、それぞれにそれぞれの特徴があり、
違うものだ。
だけど意外にこれをきちんと理解している人は少ないので、
まずここからお話するのだ。
法律的なことが違う、
書く目的が違う、
扱い方が違う、
書き方が違う、
読む人が違う、 ・・・

これからは、
遺言/遺書/エンディングノートの三つそれぞれの特徴と違いだけでなく、
ここに自分史を加えて、4つの特徴と違いをまず考えるところからお話してみようかな。





  10月5日(月)18:30~  
    ※9月9日(水)開催予定でしたが台風の影響により延期を決定しました。
    もしも今・・・?!
     命にかかわる医療について、もう少し考えてみる

  10月14日(水)18:30~
    自分のルーツと家族の関係
     ~家系図から見えてくること~

   会員制の継続講座ですが、初回は体験参加できます。
   体験参加は、3,000円(消費税別)。