2015年11月20日

それでも、やっぱり、見た目が勝負? 否定したいけど侮れない。

見た目になんか左右されない。
本質をちゃんと見たい。
日頃からそう心がけているつもりでした。
それなのに、私は結構見た目で決めつけているところがあると発見し、反省したのでした。

セミナーに出かけて

女性の働き方・生かし方にフォーカスしたセミナーに行ったら、受付も、会場誘導も、会場のスタッフは女性ばかりだ。
始まるまでにはまだ多少時間があり、席に座っていた私は、メールチェックをしながら待っていた。
正面ではジーンズにセーターというラフな服装の女性が、セミナーで使用するパソコンをチェックしていた。

このセミナーを主催したのは、企業向け研修が主流の企業で、
今回の受講者は、主に人事・労務やダイバーシティー関係の担当者のようだった。

女性スタッフはみな黒っぽいスーツ姿。
セミナー参加者もジャケット姿が多かった。

日常的にあまりスーツを着ない私は、その日もふだん通り、カジュアルなカットソーのジャケットを羽織る程度で出かけた。

セミナーは、二人の講演の後、主催者のコーディネートのもとで参加者からの質問や講師二人を交えたパネルディスカッションという構成。
講師二人はもちろんのこと、コーディネーターの方も私が注目する人だったので、その日を楽しみにしていた。

開始時間になり、後半でコーディネーターを務める方の進行で、講師が紹介された。
そこで登場したのは、先ほどパソコンをチェックしていたジーンズにセーターというラフな服装の女性だったのだ。  

え?!
お手伝いの方かと思ってたら。。。

それがその時の私の正直な気持ちだった。
お顔をよく見れば、たしかにご本人だった。

見た目の印象と本質

いざセミナーが始まったら、その講師の話はとてもいい内容で、
私はグイグイと引き込まれた。

語り口調が力強いこともあるけれど、内容が深くて濃厚。
講師の人柄、信念も感じられ、感動的な内容だった。

それなのに、私は・・・。

私は、見た目の印象で人を判断するような人が好きになれない。
今までもそう公言してきたし、
見た目の印象で人を判断する人間にはなりたくないと、心から思ってきた。
そういう私が、ラフな服装という見た目の印象で、そう思ったのだから、
自分で自分にびっくりしてしまった。


視覚的な影響

コミュニケーションの3要素として、心理学者が「言語内容」のほかに「聴覚」「視覚」を挙げている中で「視覚」の占める割合が半分以上と言っている。
初めてそれを知った時、まさか!と思ったけれど、
現に自分がこうして思い込んでいたのである。

今回は、そんな自分にちょっとうんざりし、改めて本質を見ていかねばと思う機会になった。
裏返して言えば、それだけ視覚情報、見た目の影響が大きいとも言える。

人がコミュニケーションをとろうとするとき、
それがセミナーのような「1」対「大勢」のコミュニケーションに限らず、
1対1のコミュニケーションであろうが、「大勢」対「大勢」のコミュニケーションであろうが、
きっと視覚情報はとても大きい。

要は見た目か・・・

つまりは、見た目ってことだ。
コミュニケーションを受け取る時は、そうしないように気をつけるけれど、
コミュニケーションを送る側の時は、要は見た目なのだと思った方がいい。
表情、服装、髪型、メイク、持ちもの、色合い・・・
立ち方、歩き方、動き方・・・
使えるものは使った方がいい。

実際、私自身も思いもしないイメージでとらえられることが少なくない。
そこには、きっと見た目の影響が少なくない。
見た目なんかで勝負したくはないけれど、されど見た目。
侮れない。

とは言うものの、
やっぱり私は見た目の印象で人は判断する、という人にはなりたくない。
見た目の印象で人は判断する、という「常識」は忘れずに、
人とも社会とも関わっていきたい。
もちろん、そんなものを覆すくらいの本質が磨かれるのが一番なのだろうけど。



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 12月9日(水)18:30~

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2015年11月16日

見ていてくれることと、覗かれていることの違い

私のことを見ていてくれる、大事にされていると感じられるのは
とても嬉しいことです。
だけど、覗かれている、監視されていると感じることはとてもイヤなもの。
不快だったり、不気味だったり、嫌悪感を感じます。
この違いってどこにあるのでしょうか?

Happy Birthday

年に一度のお誕生日。
仲間うちでのお祝いはもちろんのこと、最近はSNSを通じてのお祝いメッセージのシャワーなど、いろんな人からお祝いしてもらって、喜んでいる人はきっと多いに違いない。

ついこの前の私の誕生日に、パソコンをネットにつないだら出てきたのがこれ。


検索エンジン、Googleの画面だ。
Googleページだと認識していなければ、これをGoogleと読めるかどうかはわからないが(^^;; それはともかく、Googleは、「 G o o g l e 」の文字を季節に合わせて変えていく。

通常はこういう画面だけど、

思わぬデザインで出てくると楽しいし、見ていてワクワクすることもある。
例えば、バレンタイン、ハローウィンだけでなく、今日は何の日に合わせたり、ニュースに合わせたり楽しいものがいっぱいある。

そして、私の誕生日には、バースデーケーキが出てきたのだ。
びっくりした。

お誕生日おめでとうは販促の一環

そういえば先日の私の誕生日に合わせて、自宅には私へのお誕生日おめでとうメッセージのダイレクトメールがいっぱい来ている。

売上を上げるきっかけづくりとして誕生日はいいきっかけになると、神田昌典さんも著書の中でも書いていた。
そう言えば、ネット通販で買った商品のあちこちの会社からも、お誕生日おめでとうメールがいろいろ届いていた。

販売促進の手法として有効かもしれないのもわかる。

だけどGoogleに出てきたときに私が感じたのは、嬉しいだけではない何とも言えない違和感だった。

Googleは1個人ではなく、法人だから?
それもあるだろう。でもそれだけじゃない。

サプライズは、仕掛ける方も仕掛けられる方も私は大好きだ。
とは言うものの、仕掛けられる立場としては、
好きな人からのサプライズはとっても嬉しいものだけど、
あまり好きじゃない人からのサプライズは気持ち悪いものだ。

なんとなくGoogleに覗かれているような気持ち悪さだった。

実際は覗かれているのではなく、私がいつかきっと誕生日を入力したはずなのだ。
だけど、私はGoogleを検索エンジンとして意識していて、自分がGoogleに誕生日なんか教えた(入力した)気がしないのだ。

気持ち悪さの正体とは

Googleに感じた気持ち悪さ、覗かれている感じ・・・

私自身が自分の個人データを教えたかどうかも記憶がない中で、
そのデータをもとにメッセージが届く・・・。
私としては相手の存在すら忘れているような相手からも、メッセージが送られてくる・・・

先方は、自分が何気ない気持ちで記入した個人データを使って、
メッセージを送ってくるのだという当たり前なことを再確認したのだ。
データを分析し、商品を求めそうな人にアプローチするのは、
まあ向こうから見ればマーケティングの基本中の基本ではある。

ある程度予想している形なら、受け取るこちらは構えて見ることもできるけど、
もしかしたら予想もしないところで個人データをもとに私の気持ちを先回りされていくのではないかと思わせるような、そんな懸念を抱いてしまった。

「あなたのことならなんでも知ってますよ」
と言われそうな気分・・・
覗かれている、監視されている、操作されているような気持ち悪さ。

それは、私にとってはなんとなく納得できない気持ちの悪い感じがしたのである。

時事や季節に合わせて、「 G o o g l e 」がいろいろ変わるのは楽しみの一つではあったけれど、それが自分がテーマになるとちょっと気落ち悪いのである。

メッセージを送る側はどういう思いで送るのかということも大事はあるけれど
受け取る側がどう思うか、というところにも、送り手側は思いを馳せておきたい。
せっかくのメッセージが気持ち悪くなっては、台無しになってしまうのである。




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2015年11月9日

チャンスを逃すことだってある・・・判断力やスピード感が落ちている理由

高齢者の交通事故が増えていることが問題になっています。
実は事故を起こす人の年齢層で高齢者が多いのは
今に始まったことではありませんが、
被害が大きく深刻な事態になったことで注目度が高まったのでしょう。
認知症などの脳の病気がどうかは別にして、
判断力やスピード感が鈍っていくというのは加齢に伴う困ったことの一つ
なのかもしれませんが、どうやらそれだけではないようです。

オトナになってゆっくりゆっくり

走りながら考えていた私が、今では立ち止まって考えるようになった。
走る前に止まる。
止まってよく考える。

若い頃の私を知っている人は、信じられないと思うかもしれない。
オトナになって、さらに年を重ねていくうちに、多少ゆっくりになってきたようだ。

落ち着いてきた?
いやいや、それだけじゃない。
ゆっくり考えるという行為は、判断が遅いとも言える。
判断力が鈍り、処理能力が落ちてきている側面もあるのかもしれない

ゆっくり考えていてチャンスを逃した・・・

まあ、もとは何事も前のめりでそそっかしいタイプだったから、
少し立ち止まるくらいがちょうどいいと思うこともあるけれど、
判断が遅れたり、処理が遅かったりすることで、実際にチャンスを逃すことがある。

つい最近も、インフルエンザの予防接種を便利に受けられる機会があり、行きたいなあと思っていたら、終わってしまった。
wifiルーターを解約しようと思っていたら、思ってるうちに自動更新されてしまい、解約できなくなってしまった。
行きたいなあと思ったセミナーを、行こうかどうしようかよく考えているうちに満員になってしまった。

やろうやろうと思いながらそのままにしている・・・そういうことが増えてきた。

「ゆっくり考える」じゃない。
ただ鈍いだけ。
結果的にたくさんのチャンスを逃してる。
そのたびに、
「私、年とっちゃったのかなあ」と、落ち込んでしまうのである。

年とったせいだけじゃない

なぜチャンスを逃すのか。
なぜやろうやろうと思いながらそのままにしているのか。

年のせいにしていたけれど、たぶんそうじゃないと気づいた。
気持ちが守りになってるから。
止まっているから。
気持ちが前進していないからではないか。

自分の時には気づかなかったのだけど、
まわりの知り合いがじっくり悩みながら機会を逃していくのを横で見ていて、
ハッとしたのだ。
ここのところ、その人の気持ち(心)が落ちて、止まっていたから。

前に向かって進んでいるときは、たぶん考える時もスピードが速い。
ゆっくり考えているときと、スピーディに考えているときと、
実は考えている深さはあまり変わらないような気がする。

そう、止まっているときは判断が鈍る。
止まっているときはチャンスを逃す。

それを年齢のせいなんかにしちゃいけないのだ。



エンディングノートを使って、自分らしく生きることを考える講座
麻布十番にて開催

体験参加も受付中です。

 11月12日(木)18:30〜
 【テーマ】心を整えるお墓磨き〜お墓参りから見える新しい自分〜
  自分と向き合うことはなかなか難しいもの。
  講師にお招きする今井さんは、お墓参りがその大きなきっかけになると言います。
  11月は、お墓をきっかけに、自分と向き合うことを考えます。

 12月9日(水)18:30~
 【テーマ】老後貧乏は避けられる~将来のお金について考える~


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2015年11月5日

今のカラダへの悪影響は、昔々のちょっとした小言がモトだったのかもしれない

歯医者さんが大嫌いです(歯医者さん、ごめんなさい)。
子どもの頃から歯には散々悩まされてきたので、十分大人になった今、
定期的にメンテナンスに通うようにしています。
今日はいつもの衛生士さんのクリーニングだけでなく、久しぶりに
歯医者さんに見てもらったところ、噛み合わせが極端に強いと言われました。
そう言われて思いうかべることがありました。

歯を噛みしめる

噛み合わせ、食いしばり、愕関節症・・・、よく聞くけれど、今まで他人事だった。
無意識のうちに強く噛む状態で一番多いのが眠っているときだそうだ。
歯ぎしりなんて言われたことないし・・・と言ったら、
音が出ない歯ぎしりもあるのだそうな。
ぎゅーっと強く噛むことで歯が欠けたりヒビが入ったり、
歯ぐきへの負担も大きいのだそうだ。
この噛み合わせが強すぎることは、
歯(口の中)の健康状態に悪い影響を与えているというのである。

そう言えば、仕事中に自分が歯を噛みしめていることに気づくことがある。
パソコン使用中などはしばしばだ。
仕事中の肩こりがひどかったので、肩こりの要因になるかもしれないと思い、
仕事中に歯を噛みしめていると気づくと、
私は意識して緩めるように心がけていた。


口を閉じているときというのは、
本来口の中では噛みしめていないはずなのに、
噛み合わせの強い人はなぜか噛みしめている人が多いんです。

歯科衛生士さんにそう言われて、ふと思い当たることがあった。

子どもの頃の記憶

幼い子どもの頃、私はしばしば「口を閉じて」と、言われていた。
ぼーっとしている子どもが、
口をポカンとあけている様子を見ることがあるでしょう?
私はそういう子どもだったのだ、たぶん。

口をあけっぱなしにしているとおバカさんに見えるから、
きちんと口を閉じなさい。

子どもの頃にしばしば言われていたその小言を、
歯医者さんからの噛み合わせの話を聞いて、ふいに思い出したのだ。

いつも頭の片隅に、
私は無意識のうちに口をポカンと開けてはいないだろうか?
口をきちんと閉じていなくては!
という意識があることに私は気づいたのである。

実際、その小言が今の私の噛み合わせに影響しているのかどうかはわからない。
でも潜在意識の中で影響を与えているのかもしれないと思った。

子どもが口を開けたままぼーっとしている顔は、
確かにおバカさんみたいな顔かもしれないけれど、
子どもらしい顔でもある。
もしも当時何も言われずそのまま放っておいたら、
果たして大人になった今でも、
私は変わらず口をポカンと開けっぱなしでいただろうか。。。

いつのまにか頭の片隅に残る

幼い子どもの頃に受けた注意や指導がいつのまにか頭の片隅に残って、
無意識のうちにそれにとらわれていることって、意外に多いのではないだろうか。

ちょっとした癖、ちょっとした習慣、ちょっとした行動・・・、
私の噛み合わせのように、カラダへの影響だけでなく、
生活習慣や行動パターン、思考方法なども、
そういう影響が及んでいるのかもしれない。

だからこそ、
ん?!って気づく瞬間って大事。
どんなことでも、
ん?!って思ってみるのは、きっと悪くない。

噛みしめる悪影響を軽減するために

ちなみにこの噛み合わせ、最近は学会でも注目のテーマの一つだとか。
眠っているときに噛みしめる力は、
昼間や食事中の噛む力とは比較にならないほど強いのだそうだ。
だから悪影響を軽減させるためには、
できれば眠っているときに噛みしめないようにしたい。

ということで、私は眠っているときに噛みしめないようにするための
「ナイトピース」なるものを作ることになった。

しかしこれをはめて眠る睡眠妨害の影響はどうなんだろう。
いったいどっちのほうが大事なのか・・・。
まあやってみて様子を確認してから考えることにしよう。




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 11月12日(木)18:30~


   自分と向き合うことはなかなか難しいもの。
   講師にお招きする今井さんは、お墓参りがその大きなきっかけになると言います。
   11月は、お墓をきっかけに、自分と向き合うことを考えます。


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2015年11月2日

会社を辞めたらやろうと思ったこと、思っていたのにやらないこと

できれば会社を辞めたいと思っている人、もうすぐ辞めようとしている人、意に反して辞める人・・・・
もしも辞めたら、何をしていたいと思っていますか。
私の場合、いざ辞めてみると、意外にそんなにやりはしないものでした。

やろうと思っていたことはいっぱいあった

会社にいるときには、もしも会社を辞めたらあれをしよう、これをしよう、あんなことがしたい、こんなことがしたい、といろいろ思っていた。
欲張りで好奇心が強い私は、やりたい、やろうと思っていることが数えきれないほどあった。

 レディスデーの日に映画を見る
 ゆっくり本を読む
 毎朝コーヒーを飲みながらゆっくりと新聞を読む
 一人旅に出かける
 いろんな顔に会える写真展に行く
 カフェ巡りをする
 ピアノを弾く
 ブラジルで買ってきたカバキーニョの練習をする
 ウクレレの練習をする
 スキーに行く
 ライブに行きまくる
 コンサートに行く
 体力づくりをする。
 ダンスレッスンにしっかり通う。
 昔読んでた漫画を全巻一気に読み返す

 等々。

もっともっとあったけれど、書き上げたらきりがない。

長く会社にいると、どうしても時間が拘束される。
働いている時間以外に寝る時間、移動時間などを考えると
自分が自由に使える時間はそう多くない。 
むしろとっても少ない。
だから「自由に使える時間」が欲しくて欲しくてしかたがなくて、
もし時間ができたら・・・と、妄想をめぐらすのだ。

ところが現実は

実際に会社を辞めていざ時間が自由になると、
私の場合、これが意外にやっていないのである。
あれだけやりたいと思っていたのに。

それどころか、会社にいた頃のほうがやっていたことがたくさんあった。
当時は時間がなかったから、どうしてもやりたいことはなんとしても時間を作ってやろうとしていたのである。
ところが時間が自由になると、今日やらなくても明日があると思う。
やりたいことであるはずなのに、明日やろうと先延ばしすることが出てくるのである。

あれ?
やりたいんじゃなかったっけ?

そこでやりたいと思う自分の思いの強さや優先順位に気づくのだ。
やりたいと思っていても、そのやりたい気持ちの度合いがまあそこそこなのか、
それともとてもやりたいことなのか。

漠然とやりたいと思っていても、いつの間にか忘れられていくことも、実は少なくない。
時間の経過とともに興味関心の対象も変わっていくせいか、
やりたいと思っていたことすら忘れてしまうこともある。

まるで、列車に乗っていて景色を見ているようなものだ。
「きれい!」と思う景色があったとしても、そこで途中下車しない限りは、どんどん通り過ぎて後ろに行ってしまい、どんな景色を綺麗と思ったのかも忘れられていく。

会社を辞めたらやろうと思うことなんて、どの程度やりたいものかなんて、実はわからない。
意外と大したことないのかもしれない。
忙しくて全然できなくても、それでも時間をやりくりしてやろうとするくらいのものでないと、意外にやらないことなのだ。

私の場合、上記に記載したことは、
時間がないからできなかったり、やりたいけど我慢していたはずのことばかりだったが
時間ができても実際にはほとんどやっていないことばかりなのだ。

自分が思っていることなんて、結構アテにならないものだ。
自由になる時間に対する渇望感が強いから、
そのせいですごくやりたいことだと思い込んでいただけ。

会社を辞めて時間がある中で、やっていること、
やらなきゃいけないことが他にあるのに、ついついやっちゃうこと、やりたくなっちゃうこと・・・
頭よりもカラダの方が、正直なのかもしれない。
つまり、頭で思っていることよりも、身体が動いてしまう「行動」の方が、正直なのかもしれない。






体験参加も受付中です。
 11月12日(木)18:30~


   自分と向き合うことはなかなか難しいもの。
   講師にお招きする今井さんは、お墓参りがその大きなきっかけになると言います。
   11月は、お墓をきっかけに、自分と向き合うことを考えます。


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