2016年1月15日

卑下することは相手を傷つけることもある


思いもしないことでした。

私が自分のことを卑下しているなんて・・・。
そしてそのせいで人をイヤな気持ちにしていることもあるなんて・・・。

それは自分を守りたいがあまり、
自分へのいいわけをしていただけだったのかもしれません。


Facebookのコメントが教えてくれた

つい先日のこと。
天気予報の表現に違和感を感じて、
ツッコミたくなる思いをfacebookに書いた。

 天気予報では、
 「今日は真冬のような寒さです」を連呼してるけど、
 私は、「だって今、真冬じゃん!」って毎回ツッコミたくなる。
 たしかに今日はとっても寒いけどね。

天気予報の表現が気になって気になって仕方がない。

だから投稿したのだけど、そのあとでちょっと気になり始めた。
何言ってるの~?うるさいこと言うヤツ!って思う人もいるのかもね、って。
そこで、以下のように追加でコメントした。

 今日のことを言うなら、「真冬らしい寒さ」だろ?!って思うんですよ。
 「~のような」と言うなら、「春 のような暖かさ」とか。
 ・・・などと言いながら、ああ、私って細かいイヤな奴かもね~と
 もう一人の私が言ってる。

そうコメントして、ちょっと安心した自分がいたのも事実だ。
それに対して、Facebook友達が以下のようなコメントをくれた。

 正しい日本語を使い、残し、伝えていくためには
 石崎さんのような方の存在は必要ですので。
 ご自分を卑下?してはいけませぬ!
 石崎さんは、不正確な日本語使う中正しい道に導く女神さんのようです。

こそばゆいけど嬉しかった。
それと同時に、自分を卑下しているなど思いもしなかったので、
意外な気がしていた。

しかし考えてみれば、似たようなことがある。

いえいえ、たいしたものではございません・・・

12月にエンディングノートの取材を受けた。
それは1月7日発売の女性セブンで掲載されたのだが、
それに対して、喜んでくれる方、宣伝してくれる方、手に入れてくださる方・・・・
いろいろいらっしゃったにもかかわらず、私は

 いやいや恐縮です(^^;;

 ちょろっとしたものですよ(^^;;

 手に入れてもらうには申し訳ない程度のものですから。

と方々に言い続けたのである。
それを聞いた先輩が私に言った。

 掲載されてイヤだったの?

とんでもございません!
掲載していただいたのはありがたいことだし、
それを喜んでくれる方や宣伝してくれる方には素直に感謝の思いがある。
にもかかわらず、私は「いやいや」と、返していたのだ。

なぜ自分を下げて言うんだろう。

無意識の中で、
「たいしたないね」と言われるのが怖くて言っているのかもしれない。
どこか自分としては傷つけられたくなくてリスク回避のつもりで
そうなっているのかもしれない。

自分だけじゃない

しかし、それは自分だけの問題ではなかった。
先輩は私に続けた。

 石崎は掲載されてイヤだと思っていたんだ~と感じる人がいたかもしれないね。

想像もしないことだった。
そう感じた人は、私に余計なことを言ったと思ったかもしれない。
気まずい思いを抱かせたかもしれない。
せっかくのありがたい好意を、私は素直に受けなかった、ということだ。
申し訳ないことに。

ふり返るとそう言うことが度々ある。

お祝いしてもらった時に嬉しくないふり(!)をする、
お誕生日の時におめでとう、と言われ、
「トシですから」「めでたくなんかないよ」と悪びれて返す。
・・・・

自分を卑下するということは、自分だけの問題ではない。
卑下することで人を傷つけることがある。

遠慮すること、謙虚であることを美徳とする価値観が、
私の中でおかしな変化をしている。
それによって素直に感謝できず、知らないうちに相手を傷つけているとしたら、
なんと残念なことだろう。

今まで意識せずに失礼しちゃった皆さま、ごめんなさい。
こういうことに気づかせてくれたFacebookのお友達の方、先輩、ありがとうございました。

もう少し素直にならないとね、私。




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