2016年4月25日

私の気持ちがこんなに変わるなんて。先のことなんかわからないけれど・・・


私は1人で気楽に生きていく。
それが自分らしく生きる、ということだから・・・・


そう言い続けていた81歳の女性から
最近不安になってきたという話を聞きました。

ご主人を見送って10年。
それ以来ずっと1人暮らしで、時々離れて暮らす息子さんがやってきますが、
いつも元気であちこち旅行をしていました。

これからもずっとこの家で、誰の指図を受けることなく、好きに生きていきたいの。

ずっとそう思っていたそうですが、
2ヶ月くらい前から急にいろいろ不安になってきたのだそうです。

本当にこれから一人で大丈夫かしら

腰が痛くて腰が痛くて・・・、
歩くのもつらくなってきて・・・
本当にこれから一人で大丈夫かしら。


そう思うと不安が不安を呼び、益々気持ちが落ち込んできたのだそうです。

原因は「年寄り病」と言われるような脊柱管の病気でした。
手術をするかどうするか。
これからお医者さんと相談するとは言え、決めるのは自分。
悩みどころだそうです。

年をとるというのは、こういうことなのね。。。

2か月前の自分は、まさか自分がそんな風に思うようになるなんて
想像もしていなかったのだそうです。

人の気持ちって変わるのよね

これからだんだん年をとり、
年をとることで想像もしないことがいろいろ起きるのかもしれない。
それが起きるたびに、
気持ちも想像もしない形でコロコロ変わっていくのかもしれない。

私とお話している様子はとても明るくお元気そうに見えましたが、
心の中は少し違うようでした。

まさか自分がそんな風に思うようになるなんて!

いつだって前向きに生きてきた人だっただけに、
それが何よりショックだったと言います。
自分で自分にびっくりしているようで、した。

人の気持ちって変わるのよね〜

何度も何度もそう言いました。

若くても年を重ねても、悩む気持ちは変わらない

私はこうありたい、こうしていたい、・・・と思っていた。
それが、自分の思い通りにならない(かもしれないと思う)。
~これが不安のもと、です。

腰が痛い、体調が・・・というのは高齢者特有のことかもしれませんが
想いがあるのに思い通りにならない、という悩みは、
きっとどの世代にも共通のこと。

しかもそこに、
まさか自分がそんな風に思うようになるなんて、という思いが重なったのですね。

日頃明るい方は、無意識のうちにご自分のポジティブ思考に自信があって
そのせいで
私に限ってそんなはずはない、
なぜ私が?!
そう言う思いがフツフツわいてくるのかもしれません。

その女性の悶々としたそういう思いは、わかるような気がしました。

それでも知っておく方が、きっといい

気持ちは変わる。
まさか自分が・・・。

体中のあちこちが痛くなった86歳の父は、しばしば私に言うのです。

 年をとればわかる。
 その時になってみてわかること、というのがある。

はい、たしかにそうでしょう。
私自身も、若い頃に思っていた50歳と、現実の50歳は全然違う気分です。
まさに今、、50歳になって初めてわかったことがたくさんあります。

その時になってみないとわからないことは、きっとたくさんあるでしょう。

それでも私は、
先のことを考えてもしょうがない、
とは思いません。

いくらその時になったら変わるにしても、
考えたことがあるかないかは、きっと大違い。
知っていることと知らないこととは雲泥の差。

情報がありすぎて不安になる、
知らない方が幸せ、
という考え方があるのも、もちろんよく知っています。

だけど、 そういう風に悩むことがある、ということを知っているのは
自分がもしも悩むようになったときにはきっと参考になる。
それがきっと役に立つのです。

それが智恵になって、その時の判断や気持ちの助けになると思うから。

何か困った時に
同じような経験をした人が身近にいる場合と
まったく寝耳に水の場合とで
自分が困った時の心持ちは全然違うと、私は思うのです。

細かいことまで知らなくてもいい。
だけどそう言えばどこかで聞いたことがある。
こんな人がいた。
それだけで、きっと全然違う、と。

そして、仮に自分が将来もそういうことと全然関係なかったとしても、
そういう可能性や状況を知ることはそういう人への理解が進み、
社会に対しても、少しだけ優しくなれるんじゃないかな、と思います。


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2016年4月17日

インフォームドコンセントはもう古い?! お医者さんから聞く説明



自分のカラダのことは自分が一番よく知ってる。

自分のカラダは自分で守らないと。

いろいろなことが言われますが、治療方法に対する考え方や感覚は、
ここ数年で大きく変わりました。

それによって、今までの当たり前が、当たり前ではなくなっているわけで、
この感覚についていくのはなかなか難しいものです。

医療のことはお医者さんしかわからない。

例えば風邪なのか、アレルギーなのか、喘息なのか、
診断するのはお医者さんです。
かつて、患者はシノゴノ言わずに、
お医者さんの言うことを信じるのが当たり前、という時代がありました。

治療法についても、お医者さんが決めてくれます。
信じてさえいれば、何も心配はいりませんでした。
患者は診てもらう立場で、どっちが偉いかって、そりゃあお医者さんです。
患者はまな板の上のコイ、そのもの。
誰もが「先生にお任せします!」と言うのが当たり前でした。

しっかり説明してくれる「インフォームドコンセント 」

たぶん昔はあまり表面化していなかったであろう医療過誤や医療事故。
ニュースになることが多くなり、
患者が医療に疑問を持ち、訴える事件が多くなったことも、
きっと影響しているのでしょう。

医療現場では、必ず患者やその家族にしっかり説明し、
患者(その家族)に納得、了解してもらってから、治療を始めようという動きが
出てきました。
それがインフォームドコンセント
訴訟社会のアメリカから来た流れだそうです。

お医者さんも、患者やその家族が話をわかるかどうかは別にして、
とにかく説明する。
患者とその家族は「話を聞きました。」の了解の証、サインをする。
この流れを完了しないと、治療をしてもらうことができません。
わかっているかどうかは、二の次と言えるかもしれないくらい。

よくわからないけど・・・とりあえずOK!

「話を聞きました。」の了解サインって、今のネット上の「同意する」と似てますね。
だって、とりあえずそれをOKしないと前に進めないんですから。
わかる人、納得する人はきっとちゃんと理解してサインするのでしょうが
なかなか理解するのは難しい・・・です。

選んでください

医療や薬の進歩は、今まで無理だったことが可能になることもあります。
喜ばしいことです。
だけどどんどん進歩して、次々と新しい治療法が登場すると、
答えは一つではなくなってきます。
治療法によっては、その分、カラダやお金や時間に負担が増える場合も出てきました。

その結果、「きっちり説明する」インフォームドコンセプトの次の流れは
選んでください」でした。
そう、インフォームドコンセント改め、インフォームドチョイスです。

いろいろな治療法があるけれど、それぞれにあるメリットとデメリット。
それを一通り説明してくれた上で・・・・

どれにしましょうか?

選んでください。

場合によっては、

あなたの人生観に照らし合わせてよく考えてください。

と言われることもあります。

自分のカラダのこと、自分の治療法のことだから、きちんと自分で選びたい。
メリット、デメリットをきちんと聞いた上で。
・・・そう思う人はきっと多いでしょう。

だけど誰もが選べるわけではありません。
私たちは選べるほど、そもそもその治療法について知っているでしょうか?
いくら説明を受けたとしても、どれくらい理解できるでしょうか。

選択肢がなければ選ぶ必要もないし、悩まないのに。

選択肢が提示されても、何を基準に選べばいいのか?
人生観に照らし合わせてって言われても、
人生観なんて考えたことがない人も少なくありません。
考えたことがあったとしても、やっぱり迷って悩んで苦しみます。

お医者さんが決めてくれればいいのに・・・

よくわからないけど・・・え~い!これでいこう!

そんな風に思う人は、きっとたくさんいるのではないでしょうか。

お医者さまにお任せしたくても、お医者さまは選んでくれない、
自分(たち)で選ばなくてはならない、というのは、大変苦しいことでもあります。

本人の意志を尊重する。

本人が選んだのだから仕方がない。

意地悪な見方をすれば、
インフォームドチョイスは医療者側の都合だとも言えます。
だって、自己責任だから。

心の準備なんかできない

今から30~40年前の病気の告知というのは、
患者以外の家族が診察室ではない別室に呼ばれて伝えられました。
本人に何て言おうかと家族が悩むこともありました。
映画やドラマで、そういうシーンはしばしば出てきました。
だからそういうものだと思いきや、今はまったく、全然違います。

今の告知は、熱が出て風邪かなと思ってお医者さんに行ったときに、
「インフルエンザですね」と言われるのと同じ。
ちょっと具合が悪いから病院に行き、検査を経て、いきなり
「ガンですね」と言われます。

1人で行くから、いきなり感はハンパなく、ボーゼン・・・!

治療法も同じ。
ボールはこちらに投げられる。

先生が示してくれると思いきや、「選んでください」と言われるわけで、
そんな風になるとは予想もしていないから、びっくりしてしまうのです。
特に昔々の「お医者さまにお任せします」が常識だった世代にとっては、
これは本当に難しい局面になります。

「知っている」と「知らない」は大違い

だけど今は、医療だけではないですが、
リテラシーが求められる時代になりました。知っていないと、不利益を被る。
医療を受ける側にも力が必要なのです。

医療を受ける側に課せられる姿勢が、こんなにも変わってきているのに、
患者になる私たち、患者の家族になる私たちは、
意外にその変化をよく知りません。
だって、病院や病気とはあまり縁がなかったから。
ずっと元気だったから。

自分が病気なる時、家族が病気になる時というのは通常突然のことですが
じっくりゆっくり検討し、考えるような時間は、あまりないのが普通です。

そういうとき、
「多少知識があること」、
「知識はないけど、考えたことがあること」は、
大きな力になります。

それについては気楽に相談できるような詳しい知り合いがいれば、
さらに大きな力になることでしょう。

「知っている」と「知らない」は、全然違います。

エンディングノートの中にも、医療についての項目があります。
たとえ何も書かなくても、それを見て
「考えたことがある」「家族と話してみたことがある」ことは
いざという時に大きな力になります。
それはやってくるかどうかわからない災害のための備蓄と同じ。

エンディングノートなんてまだまだ・・・

高齢者のためのものでしょ~?!

そう思っている人は多いけれど、
世代を問わず「知る」「考える」きっかけに、もっともっとエンディングノートが活用されればいいのに、と思います。



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5月の開催(第26回)

 5月17日(火)18:30~20:30 麻布十番にて。

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6月の開催(第27回

 6月8日(水)18:30~20:30 麻布十番にて。

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2016年4月8日

ネット上でずっと生き続ける?それともきれいに消えていく?「デジタル終活」という新しい視点

最近、Facebookで訃報を知ることがあります。
亡くなっている人のお誕生日に、それを知らないお友達からお祝いメッセージが次々と届くのを見て苦しくなることもあります。

亡くなったタレントの飯島愛ちゃんのブログが閉じられたのは比較的最近のことです。
亡くなってから10年経っていました。
ブログには亡くなってからもファンのコメント、追悼メッセージがどんどん届いていました。

「終活」のイメージは、どちらかというと高齢者のためのもの。
ネットやデジタルをどうするかは今まであまり注目されてはいませんでした。

けれども

新しい「デジタル社会」は
まだ「人の死」に備えられていない

これは、
拙著「失敗しないエンディングノートの書き方」(法研)を紹介してくれたこちらのムックに書かれていたフレーズです。




今やパソコンにはロックがかかっているのが当たり前。
自分だけの秘密、できれば見てほしくないデータも、ロックがかかっているからバレてしまうことは少なくなったかもしれません。
けれども反面、いざという時にはぜひ見てほしいと思うデータも、ロックを解除できないと見てもらうことはできません。

万一の時、大事なデータがちゃんと伝えられるか?!
万一の時、見せたくないデータ、知られたくないデータが
バレてしまうことはないか?!

自分が困らないように。
遺された人を困らせないように。

その解決法としてつい2~3年前には「HDDを初期化」するのが一つの方法とされていたのですが、今はそういうわけにはいかないくらい、PCの中やネット上には大事なものもあって、単純化できそうにありません。

書類もアドレス帳も、今は紙ではなくデータに。
かつては家族も大体知っていたおつきあいですが、
今やLINEやFacebookやSkypeなどネットを通したものは本人しかわかりません。
支払は現金からカードになり、明細もペーパーレスに。
ネット決済も多くなっています。
定期的に引き落とされるものの中には、本人でないとストップもできないものも・・・
通帳がない銀行だってあります。

だけどこの「デジタルムック」の編集者たちのような世代(30代)にとっては
「いざという時」「万一の時」というそんな日は全く身近でないし、
あまり関係ないと思っている・・・
だけどある日親しい人が亡くなる、厳しい病いにかかる・・・
そんなこををきっかけに、他人事が自分ゴトになり、そうなったらどうするんだろう?!
と思い始め、話をしていったのが企画の始まりだったそうです。

ちなみに私が8年前まで書いていたブログ、
8年間放ったらかしでまだ存在しているのですが、
ID/パスワードがわからないために、手を加えることも消すこともできません。
ハンドルネーム書いていたので、誰かもわかりません。
今私が死んでも、きっとずっとこのまま・・・・
なんだか、宇宙ごみのようですね。

私がエンディングノートの講座をやっていることもあって、こういう声がよく聞かれます。

 エンディングノートは書くよりも入力したい
 書いたものはクラウド保管したい

私自身も書くのは面倒だからできればそうしたいと思うけれど、
でも、オススメしていません。
やっぱりアナログ保管をオススメしています。

なぜなら、
アカウントは? IDは? パスワードは?
そんなこと、本人だって忘れてしまうと大変なのに、
本人以外にどう伝えるの?
伝えたとしても、ちゃんと理解してもらえる?
見てほしい人に、見てほしいものを、見てもらえるかどうかは
甚だ疑問だと思うからです。

手書きの文字には急いで書いたか、ゆっくり書いたか、
丁寧に書いたか、適当に書いたか、等がなんとなくわかります。
訂正する時に消さずに書き足していけば、
何度も考えたのか、さらっと書いたのか、なども
自分自身が見返して気づくこともあるし、他の人が見たときも推し量れるでしょう。

まあ、そんなことを言っている私は「昭和の人」なのかもしれませんが。

そうは言っても、この2~3年のネットの変化がこんなに大きいのですから、
「デジタル終活」は今後ますます変化していくに違いありません。
今、80代の人の大多数は、あまり関係のないのかもしれませんが、
60代以下であれば、関係ある人の割合がぐっと増えるはずです。

デジタル終活」の誌面には、
データはどうしたらいいのか?
SNSはどんな手があるのか?
大事な写真はメディアに落としておいた方がいいのか?
もしも今、自分が死んだら・・・
Googleのサービスはどうなるのか?
契約者本人以外の解約を認めない携帯電話は?
定額制の購読アプリは?
プロバイダーは?
そう言えば気づかなかったけど、と思うようなことが
次々と出てきます。
今、気づいた方、きっと参考になります。

本屋さんを歩いてみたら、
終活といっても、本屋さんで「デジタル終活」が売られている場所はコンピュータ関係の雑誌売場。


うーん、残念。こういう雑誌を買いに来る人は、
果たして「デジタル終活」という言葉は目に止まるのだろうか。
せめてお片づけや断捨離本の近くに置いてほしかった・・・

まだまだコンピュータ好きの一部の人だけなのかな。
いや、そんなことは絶対ないはずだと思いますけどね。。。








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100人いれば100通りの人生がある。
生きるってなんだろう?
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2014年4月から毎月1回、そんなことをご一緒に考える講座を開催しています。

エンディングノートを使って、これからの生き方を考える
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◎ 4月の開催(第25回) ◎

 4月14日(木)18:30~20:30 麻布十番にて。

【 テーマ 】

 家族が生き切るのを見届ける ~「家で死にたい」と言われたら~


 5月の開催(第26回) ◎

 5月17日(火)18:30~20:30 麻布十番にて。

【 テーマ 】

 生きがいとは何か ~アクティブ・シニアからの提案 ~


 6月の開催(第27回) ◎

 6月8日(水)18:30~20:30 麻布十番にて。

【 テーマ 】

 突然やってくる発作、脳卒中 ~「そのとき」の前と後、仕事への復帰~(予定)




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最後に大事にすることは何か?!
そんなことを考えたくて、4月は実際に家族に「家で死にたい」と言われた人をお招きし、お話を聞きながらご一緒に考えていきます。
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2016年4月2日

チューリップ1本で人生のお話を聞く機会をもらいました。仕事のこと、好きなこと・・・


もうすぐ咲きそうなチューリップを2本いただき、
こんな風にレジ袋に入れた状態で手持ちして電車に乗りました。


年配女性が目の前に座っていました。
お楽しみの買い物をしてきたと思われるいろいろな荷物が詰まった大きなカートが足元に置かれていました。
その女性の隣の席が空いたので座ったら、
私の膝の上のチューリップをじ〜っと見ていらっしゃいます。
その視線で、チューリップがお好きな感じがしたので、
「2本あるから、1本さしあげましょうか?」と思わず声をかけましました。

はじめは固辞されていたのですが、
「いいんですか?嬉しい!ありがとう。」と言って受け取り、
その女性はご自分のカートに粋に差してから、お話を始めました。

かつてフラワーアレンジの仕事をしていたのだそうです。
ホテルの宴会場のテーブル装飾など。
いろいろなホテルの名前やお部屋の名前が出てきました。
個人で複数の名だたる一流ホテルでの仕事を頼まれてやっていたようでした。

こんな一流と仕事ができるんだからそれでいいだろ?って、
お金はもらえなかったこともあったとか。
当時はそんな〜!悔しい!と思うこともあったけど
今考えると、お金じゃ買えないくらいのことだったのかもしれない、
個人でそういう機会をもらえたというのは、ありがたいことだったんだなあ、と。

だけど今は何でもシンプルが一番。
ホテルもかつてのようなそういう装飾はほとんどしないのだそうです。

 私が辞めた後に誰かがやってたら憎らしい、と思ったかもしれないけど、
 そういう事は無いんですって。
 なんでもシンプルって···、どうなのかしら、ね〜!

かつては豪華絢爛なオペラが好きで、ヨーロッパにオペラを見に行くのが楽しみだったそうです。
ドイツのオペラハウスの会員で、定期的に行かれていたとか。

 今のオペラは演出が理解できない。
 綺麗なのが私は好きだったけれど、これも時代なのかしら。
 会員制もなくなったから案内も来ないし、もう行かなくなってしまった・・・。

てもそうは見えませんでしたが、今、90歳だそうです。
お元気でしっかりして、早口でお話をされていました。

「私、オペラを見たことがないんです···。」

私の言葉にその方は、

 まあ!もったいない。
 教えてさし上​​げたいわ〜。
 いつかどこかで会えたらね··~

そう言って、電車を降りていきました。

私は、こういう年長者が話す仕事の話やお楽しみの話を聞くのが大好きです。
お話の真偽のほどはわからないけれど、
そこにあるであろうドラマを想像し、その方の人生を想像しながら、
ああ、誰にもみんなドラマがある、としみじみ思い、
「人」への愛おしさを感じるのです。
そして、年長者のお話は私自身の未来を思うきっかけだったり、糸口だったり。


きっかけになったチューリップは、お寺でいただいたものでした。

お寺の横に並ぶチューリップ
毎年たくさんの球根を植えて育て、蕾をつけたチューリップがずらっと並ぶのだそうですが、
ご住職の吉田尚英さんは、

 蕾になったら、あとはどうぞおいでになった方が切って持ち帰ってください。

 ここまできたらもう開くだけだから、楽しんでください。

そう言っているのだそうです。

私はその言葉に感動していただいてきたのですが、
そんなチューリップがこんなお話を聞く時間をくれました

私が持ち帰ったチューリップはまだギリギリ開きそうにありません。
あと数時間できっと満開になることでしょう。